日本大百科全書(ニッポニカ) 「アカデメイア」の意味・わかりやすい解説 アカデメイアあかでめいあAkadēmeia ギリシア語 プラトンが紀元前385年ごろに開いた学園。アテネの北西郊外、半神アカデモスAkadēmosの神域にあったので、この名がある。プラトンはここで弟子たちと禁欲的な共同生活を営み、とくに数学の研究を重んじた。彼の死後は代々の学頭が後を継ぎ、前3~前2世紀には懐疑論が有力となり、後5世紀には新プラトン主義哲学の中心となったが、529年にビザンティン皇帝ユスティニアヌス1世の命により閉鎖された。「アカデミー」の起源。[清永昭次][参照項目] | アカデミー 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アカデメイア」の意味・わかりやすい解説 アカデメイア[プラトン]Akadēmeia of Plato 前 387年プラトンがアテネの西郊外に開設した学校。アカデメイアは英雄アカデモス神にちなんで名づけられた。プラトンの講義のもとにスペウシッポス,アリストテレス,エウドクソス,クセノクラテスらが育ち,さらにアルケシラオス,カルネアデス,フィロンらによって継承され,525年ローマ皇帝ユスチニアヌスに解散を命じられるまで約 900年間存続した。ここでは哲学を中心に数学,音楽,天文学などが重視されたが,同時にまた社会に有為の人材を送り出すことも意図されていた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報