プラトン(読み)ぷらとん(英語表記)Platon

日本大百科全書(ニッポニカ) 「プラトン」の意味・わかりやすい解説

プラトン
ぷらとん
Platon
(前427―前347)

古代ギリシアの哲学者。アテネの名門の生まれで、若いころは政治に志したが、ソクラテスの処刑を転機として、暗愚なアテネの政界を見限り、人間の存在を真に根拠づけうるものを求めて、愛知(フィロソフィアー)(哲学)に向かった。紀元前385年ごろ、アテネの近郊、英雄アカデモスに捧(ささ)げられた神域に学園アカデメイアを開き、各地から青年を集めて、研究と教育の生活に専念し、80歳の高齢に及んだ。その間二度までもシチリア島に渡り、シラクサの僭主(せんしゅ)ディオニシオス2世を教育し、理想の政治を実現しようとして挫折(ざせつ)したが、その試みは彼の哲学の向かうところを示している。

 生前に公刊されたほぼ30編に及ぶ著作は、そのまま今日に保存されているが、ほぼすべて一種の戯曲作品であって、いろいろ論題をめぐり哲学的論議が交わされ、「対話篇(へん)」とよばれている。ソクラテスが主要な登場人物である。執筆年代によって、〔1〕ソクラテスを中心にして、主として徳の何であるかが論ぜられ、たいていアポリアaporiā(行き詰まり)に陥って終わる前期対話篇(『ソクラテスの弁明』『クリトン』『ラケス』『カルミデス』『プロタゴラス』『ゴルギアス』『メノン』など)、〔2〕魂の不滅に関する壮麗なミュートスmythos(物語)に飾られ、ソクラテスによってイデア論が語られる、文芸作品としてはもっとも円熟した中期対話篇(『パイドン』『パイドロス』『饗宴(きょうえん)』『国家』など)、〔3〕哲学の論理的な方法への関心が強く、魂とイデアの説がソクラテスの姿とともにしだいに姿を消していくかにみえる後期対話篇(『パルメニデス』『テアイテトス』『ソピステス』『ポリティコス(政治家)』『ピレボス』『ティマイオス』『法律』など)に分かれる。

[加藤信朗 2015年1月20日]

アポリア

プラトンにとって愛知(哲学)とはソクラテスの愛知であり、ソクラテスは「哲学者」そのものであった。前期から中期にかけての「対話篇」の多くがソクラテスの追憶を保存し、ソクラテスのうちに体現される「哲学者」を弁護・称揚しようとするのはこのゆえであり、ソクラテスの裁判の模様を記す『ソクラテスの弁明』、死に面する哲学者のあり方を描く『パイドン』はもとよりのこと、『饗宴』や『国家』もまた、その意味でのもっとも優れた作品の一つである。ソクラテスにとって愛知とは、もっともたいせつなことを知らないという自分の無知をわきまえることにあった。知らないことを知っていると思うことなく、知らないとおりに知らないと思い、このアポリア(行き詰まり)において問われているものを問うてゆく道が愛知にほかならない。前期の対話篇において、対話がいつもアポリアに収斂(しゅうれん)し無知の告白をもって終わるのは、このことを示している。アポリアから出るためのではなく、アポリアにとどまるための愛知の術策が、ミュートスとディアレクティケーdialektikē(問答法)である。

[加藤信朗 2015年1月20日]

ミュートス

時とともに移ろうことがなく、同一のものとしてとどまる永遠不変なものを、プラトンはイデアidea(形相)とよんだ。イデアは生成に対する存在、多に対する一、他に対する同であり、肉体の感覚によりとらえられず、魂の目である理性によって観(み)られる。生成の世界(可視界)は存在の世界(不可視界)を分有し、模倣する限りにおいて、これに基づいて存在し、両世界の間には実物と影、本物と模像比例がある(『国家』の線分の比喩(ひゆ)、洞窟(どうくつ)の比喩、太陽の比喩、『ティマイオス』の宇宙創成論など)。

 人間が生誕と死によって限界づけられる「この世(ここ)」と「あの世(あそこ)」の別を、プラトンはこの2世界の別に応ずるものとして構想し(『パイドン』『パイドロス』など)、この両界を遍歴する不滅な魂に関する光彩陸離たるミュートス(物語)をもって、これを飾った。魂はもとは天上にあって真実在の観照を楽しんだが、邪悪な思いのゆえに地上に転落し、土(肉体)中に埋められ、生物となった(「肉体=墓標」説)。愛知は、魂が地上の事物のうちに天上の事物との類似をみいだし、真実在を想(おも)い出して(「想起説」)、これに焦がれることである(「エロース説」)と説明される(『メノン』『パイドロス』『パイドン』『饗宴』)。しかし、イデアの措定とミュートスの構想を教説(ドグマ)とし、そこから固定した哲学説ないし世界像を構成することは、プラトンの意とするところではない。イデアの措定は、アポリアの内にある者の間に問いと答えの運動を起こす始点となる同意であり、問いと答えの運動を不毛な饒舌(じょうぜつ)と争論から守り、問答者を真理のうちに固めるための保証である。またミュートスは、アポリアにある者が、己の置かれてある境位を確かめるために描き出す、自己の「在りか」の見取り図であり、アポリアとして凝固して示されている「根源へのかかわり」を形象として、宇宙論的な規模のうちに枠どり、投影するものである。

[加藤信朗 2015年1月20日]

ディアレクティケー

アポリアにある者がミュートスの形象を排除して、アポリアにおいて問われている存在そのものに向かい、その「何であるか」を「ことば」のうちに尋ねるところにディアレクティケー(問答法)が成立する。ことばは互いに絡み合って一つの連関を形づくり、また、この連関は他の絡み合いから生まれる他の連関とさらに絡み合って、新たに別の連関をつくる。単一な連関がそれだけで単独に取り出されるとき、全体の真実は失われる。一つの連関が他の連関との間につくっている類比関係において、この類比関係を構成する範型項と実例項の間の複雑多岐な連関の全般に分け入り、そこに編み成される真実と虚偽の絡み合いを解きほぐしてゆく術策が、ディアレクティケーであり、それにより問答者は多(=他)を通じて一(=同)なる真実のうちに固められる(『パルメニデス』『テアイテトス』『ソピステス』『ポリティコス』『ピレボス』)。

 プラトンは、知識が固定した体系として文字に記されうることを信じなかった。人間の生がかかわる事柄そのものをことばを通じて明らかにしてゆくことによって、われわれ自身のあり方を真実のうちに固めてゆく道程が哲学である。

[加藤信朗 2015年1月20日]

『田中美知太郎他編『プラトン全集』全15巻・別巻1(1974~1978・岩波書店)』『加藤信朗著『初期プラトン哲学』(1988・東大出版会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プラトン」の意味・わかりやすい解説

プラトン
Platōn

[生]前428/前427. アテネ
[没]前348/前347. アテネ
ギリシアの哲学者。アテネの名門に生れ若くしてソクラテスと交わり,最も正義の人と信じてやまなかったソクラテスの不条理な死と,当時の政治情勢に対する失望から哲学の道に入った。その著作のほとんどはソクラテスを中心とする対話篇である。彼の功績の第1は学問における方法の重要性の認識とその確立であり,第2はこの方法を基礎とした形而上学と倫理学の確立である。認識論的には感性的知覚に対して純粋な知性的認識の優位をとり,存在論的には感性的世界と思惟的世界を区別し,イデア論を形成してソフィストに対抗した。数回にわたってイタリアやシチリア島を訪れ,ピタゴラス学派とも接した。後年アテネにアカデメイアを創設し,真に理想国家の統治者たるべき人材の養成をはかった。 (→プラトン主義 )  

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