世界大百科事典(旧版)内のTheophanōの言及
【オットー[2世]】より
…在位967‐983年,973年までは共同皇帝。オットー1世の息子でビザンティン王女テオファノTheophanō(955ころ‐991)を妃とした。ボヘミア王ボレスラフ2世に支持されたバイエルン大公ハインリヒの反乱を鎮圧,ボレスラフに臣従を誓わせ,ロートリンゲンに侵入したフランス王ロタールを撃退したのち,イタリア遠征をおこない,南イタリアにまで支配権を拡大しようと企てたが,アラブ・イスラム軍に敗れ,海路ローマに逃れ,そこで没した。…
※「Theophanō」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」