オットー2世(その他表記)Otto Ⅱ

改訂新版 世界大百科事典 「オットー2世」の意味・わかりやすい解説

オットー[2世]
Otto Ⅱ
生没年:955-983

ザクセン朝第3代のドイツ国王。在位961-983年。神聖ローマ皇帝。在位967-983年,973年までは共同皇帝オットー1世の息子でビザンティン王女テオファノTheophanō(955ころ-991)を妃とした。ボヘミア王ボレスラフ2世に支持されたバイエルン大公ハインリヒの反乱鎮圧,ボレスラフに臣従を誓わせ,ロートリンゲンに侵入したフランス王ロタールを撃退したのち,イタリア遠征おこない,南イタリアにまで支配権を拡大しようと企てたが,アラブイスラム軍に敗れ,海路ローマに逃れ,そこで没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オットー2世」の意味・わかりやすい解説

オットー2世
オットーにせい
Otto II

[生]955
[没]983.12.7. ローマ
ザクセン朝第3代のドイツ王 (在位 961~983) ,神聖ローマ皇帝 (在位 967~983) 。オットー1世 (大帝)の子で,967年神聖ローマ皇帝となる。バイエルンを抑圧し (974~978) ,978年ボヘミア王ボレスラフ2世を征討。さらに同年ロートリンゲンに侵入した西フランク王ロテールを追撃してパリにいたった。 980年全イタリアに皇帝権を拡大すべくイタリアに遠征し,982年南イタリアのアラブ人を攻撃したが失敗。 983年息子オットー3世をドイツ王位にあげ,ペトルス・フォン・パビアを教皇ヨハネス 14世とし,第2次イタリア遠征軍を起そうとしてローマで急死した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「オットー2世」の解説

オットー2世(オットーにせい)
Otto Ⅱ.

955~983(在位967~983)

ドイツ,ザクセン朝第3代の王(皇帝としては2代目)。オットー1世の子で,967年共同皇帝に任じられ,父の死後親政。彼の政治は父のそれの継承だったが,全イタリアに皇帝権を拡大すべく遠征を試み,失敗した。

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