世界大百科事典(旧版)内のUtatlánの言及
【キチェー】より
…第8代王ククマッツK’ucumatz(在位1400‐25)の治世にキチェー王国はその版図を拡大し,太平洋岸やグアテマラ高地の西半分を支配下に収め,現在のメキシコ南部チアパス高地にまで影響を及ぼしていた可能性も指摘されている。現在のサンタ・クルス・デル・キチェー市近郊にあった王国の首都ウタトランUtatlánは,16世紀の初めには1万5000以上の人口を誇る,当時のマヤ高地最大の都市となり,アステカ文化の影響のもとに,貴族,軍人,商人,職人,奴隷などからなる成層化した社会を形成していた。 キチェーは,スペイン軍による征服後まもなくローマ字に転写された伝承記録《ポポル・ブフ》で名高い。…
※「Utatlán」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」