改訂新版 世界大百科事典 「キチェー」の意味・わかりやすい解説
キチェー
Quiché
中央アメリカのグアテマラ中西部高地の多数の山間村落に分住するマヤ語系の原住民。推定人口約55万。グアテマラ最大の土着語集団である。各村落は互いに固有の文化型と社会・宗教組織を持ち,キチェー語圏全体としての政治的統一はない。土着宗教とキリスト教の高度な融合が見られ,コフラディアcofradíaと呼ばれるカトリックの聖人にちなむ講組織が多くの村に発達している。焼畑農法に基づくトウモロコシ,豆,カボチャの栽培を主生業とするが,織物,家具などを特産する村も多く,キチェー語圏を含むグアテマラ高地には,定期市を介した流通経済が発達している。
1524年にペドロ・デ・アルバラードが率いるスペイン軍に滅ぼされるまで,キチェーは広大な版図を誇る王国を形成し,11代の王を継承していた。キチェー王国を築いたのは,13世紀にメキシコ湾岸のタバスコ低地からウスマシンタ川をさかのぼってグアテマラ高地に侵入した,プトゥンPutúnと呼ばれる周辺的なトルテカ族である。言語面ではこの地方の土着語キチェー語が侵入者のチョンタル・ナワ語を吸収したものの,プトゥンは当時後進的だったこの地域を軍事的・文化的に制圧して首長国を築いた。第8代王ククマッツK'ucumatz(在位1400-25)の治世にキチェー王国はその版図を拡大し,太平洋岸やグアテマラ高地の西半分を支配下に収め,現在のメキシコ南部チアパス高地にまで影響を及ぼしていた可能性も指摘されている。現在のサンタ・クルス・デル・キチェー市近郊にあった王国の首都ウタトランUtatlánは,16世紀の初めには1万5000以上の人口を誇る,当時のマヤ高地最大の都市となり,アステカ文化の影響のもとに,貴族,軍人,商人,職人,奴隷などからなる成層化した社会を形成していた。
キチェーは,スペイン軍による征服後まもなくローマ字に転写された伝承記録《ポポル・ブフ》で名高い。それは世界の始源,キチェー王国の成立とその発展などを語る叙事詩で,その原本のある部分は,マヤ神聖文字による絵文書だったと推定されている。
執筆者:落合 一泰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報