WładysławIIIWarneńczyk(その他表記)WladyslawIIIWarnenczyk

世界大百科事典(旧版)内のWładysławIIIWarneńczykの言及

【ヤギエウォ朝】より

…ヨガイラはリトアニア大公位を従弟ビータウタスVytautasに譲ったが,両国の同君連合はカジミエシュ4世Kazimierz IV Jagiellończykの代に復活し,アレクサンデル以後恒久化する。ヤギエウォ家の中欧進出は,ハンガリー王位に迎えられたブワジスワフ3世Władysław III Warneńczykの代に始まったが,同王がオスマン・トルコとのバルナの戦で敗死して一時頓挫。その後カジミエシュ4世の長子ブワジスワフがボヘミア王位,次いでハンガリー王位にも迎えられて(ボヘミアではブラジスラフ2世Vladislav II,ハンガリーではウラースロー2世Ulászló IIと呼ばれる),ハプスブルク家と覇を争うまでになったが,その子ルドビクLudwik(ボヘミア王ルドビーク1世Ludvík I)がオスマン・トルコとのモハーチの戦で落命してボヘミア・ハンガリー王位を失う。…

※「WładysławIIIWarneńczyk」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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