広小路(読み)ひろこうじ

精選版 日本国語大辞典 「広小路」の意味・読み・例文・類語

ひろ‐こうじ ‥こうぢ【広小路】

[1] 〘名〙 幅の広い街路。
浄瑠璃・本朝三国志(1719)一「道広き広小路を退出する惟任」
[2]
[一] 東京都台東区上野を南北に通じる大通り、および、その付近の通称。江戸初期の明暦の大火(一六五七)以後に、寛永寺黒門から南へ延びる通りを拡張してできた。上野駅・上野公園を控えた繁華街上野広小路下谷広小路
[二] 東京都中央区、両国橋西詰の大通り。両国広小路
※滑稽本・風来六部集(1780)放屁論「横山町より両国橋の広小路橋を渡らずして右へ行ば」
[三] 愛知県名古屋市中区を東西に通じる大通り、および、その付近の通称。江戸初期の万治の大火(一六六〇)で拡張された。現在は事業所・銀行などが集中する。

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デジタル大辞泉 「広小路」の意味・読み・例文・類語

ひろ‐こうじ〔‐こうぢ〕【広小路】

幅の広い街路。
東京都台東区上野を南北に走る通り。繁華街。明暦の大火後に火除ひよけ地として拡張された。
[類語]大通り表通り大道大路街路並木道ストリートアベニューブールバール

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日本歴史地名大系 「広小路」の解説

広小路
ひろこうじ

[現在地名]甲府市朝日あさひ四―五丁目

細工さいく町二丁目の西に続く東西の通りの町人地で、上府中二六町の一町。東境を南北通りのたつ町・たたみ町が交差し、西端は白木しろき町に接する。北は三ノ堀を隔てて久保くぼ町・手子てこ町が並行する。慶安三年(一六五〇)の府中伝馬人足割帳(県立図書館蔵)には広小路とみえるが、広町ともよばれた(元禄一二年「窪町宗門改帳」同館蔵)。享和三年(一八〇三)の小間数書上帳(同館蔵)によると南側九五間半・北側八四間半。

広小路
ひろこうじ

[現在地名]中区にしき二―三丁目・さかえ二―三丁目

蒲焼かばやき町筋の南にあり、長者ちようじや町筋と久屋ひさや町筋間七丁の東西道路(尾張志)。初めは御園みその町筋と久屋町筋との間の堀切ほりきり筋の一部。堀切筋の由来は道路の南のへりに幅一間の小路が走っていたため(名府予録)。万治三年(一六六〇)正月の大火後、藩は三間の道幅を一五間に拡張し、広小路を開いた。幅員については一一間四尺三寸(名古屋城下町の方格式町割)など異論もある。拡幅の目的も火防以外に、兵力の集結地のためとか、城下町繁栄のためとかの異見もある。

広小路
ひろこうじ

福知山城下の中央やや北、東は由良川堤防(現音無瀬橋)から、西は紺屋町こやまち筋の西側御霊ごりよう神社鎮座地(現御霊公園)付近までの長さ約二五〇メートル、幅約二五メートル程の東西通り。

福知山城下がほぼ完成した有馬豊氏時代(慶長―元和)の福智山城之絵図は、この通りを下魚屋町しもうおやまちとし、普通の道幅で描く。朽木氏時代の延宝年間(一六七三―八一)にはこの通りをしもうおたなと記す史料(「堀村代々庄屋記録」堀区有文書)もあるが、延宝五年四月の大火以降、城下の町地中央にあたるこの通りに東西一町半、南北一五間の溜池をつくり、防火壁代用の用水池としたといわれる(郷土資料)

広小路
ひろこうじ

[現在地名]飯山市大字飯山

飯山城を中心に馬蹄形に設けられた侍屋敷地。南の福寿ふくじゆ町、西の町、北方搦手に続くきた町を含む周辺。東は千曲川が北流する。大手橋を出て三六間の通りには右側に厩・大工小屋及び蝋・材木・鍛冶蔵を置き、左側に会所を置いた。会所南は枡形をなしかん町に至り、ここも枡形である。この間下御馬出しもおうまだし・御馬出でほん(下町)に出る。

広小路
ひろこうじ

南北基幹街路の一本の一部。現在の山梨大学教育学部の北側、屋形やかた二丁目地内に広小路の小字が残る。武田たけだ通の一部に比定する説があるが、現在躑躅が崎つつじがさき館跡の西縁を南に下る街路の一帯に広小路の呼称が用いられている。「武田家日坏帳」には、ヒロ小路・広小路・広小路横宿とみえ、天正三年(一五七五)の長篠の合戦で戦死した山県甚太郎昌次や、跡部美作守殿ムスメ・中サワ道存・秋山万落内方・京饅頭屋森村忠右衛門の居住者名が記される。

広小路
ひろこうじ

内堀と三ノ丸との間、中央部より大手門へ通ずる道が走り、城内の中心的な広場。広小路に面した三ノ丸には、稲葉氏時代には老中屋敷が並び(「寛文図」県史四付録)、慶安四年(一六五一)藩主稲葉正則によって広小路の塚田左馬介屋敷に馬見所がつくられ(永代日記)、大久保氏時代にも重臣の屋敷と藩役所(御用所と称する)、嘉永年間(一八四八―五四)には城代一、家老三の屋敷、御用所が並ぶ(「嘉永図」小田原城天守閣蔵)

広小路
ひろこうじ

[現在地名]宇和島市広小路・桜町さくらまち

藩主在居の浜御殿はまごてんから宇和島城に通ずる本通である。堀端通側は家老屋敷があり、その南端には御遊所がみえ藩主休息所であったと考えられる。元禄一六年(一七〇三)七月と文久二、三年(一八六二、三)頃の城下町絵図によると、一二軒ほどの上士の屋敷が認められる。

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改訂新版 世界大百科事典 「広小路」の意味・わかりやすい解説

広小路 (ひろこうじ)

近世の都市において,普通の街路よりも特に幅広くつくられた街路のこと。城下町など町制の行われた都市では,延焼防止のための防火帯である火除地(ひよけち)として設けられることが多い。地名として残る名古屋の広小路は1660年(万治3)の大火後に,町人地と武家地の境の街路を幅15間に拡張して作られた。この位置は町人地のはずれであったが,城下町の発展によって盛場となり,江戸時代後期には見世物,屋台店が出て,納涼のころには夜のふけるまで人々の群集する場所となり,近代にも名古屋の繁華街の中心として受け継がれている。江戸には両国,江戸橋,上野,外神田,浅草,本郷などかなりの数の広小路があったが,これらも多くは1657年(明暦3)の明暦大火やそれ以後の火災の後に,焼失した町家を移転させて街路を広げて設置されたものである。火除地としての機能から,広小路には恒久的な建造物は建てられなかったが,床みせと呼ばれた移動可能な店舗施設が置かれ,また大道芸や,矢来(やらい)と葭簀(よしず)で囲んだ仮設の小屋で芝居や講釈など各種見世物の興行もよく行われた。人々の集まりやすい両国橋西詰にあった両国広小路は,花火の行われる夏の納涼では特ににぎわい,《江戸名所図会》(19世紀初め)などには床みせとともに芝居,軽業,土弓の小屋が建ち並ぶようすが描かれている。江戸橋南詰の江戸橋広小路には小間物商いが大部分である100軒余りの床みせのほかに,楊弓場,水茶屋などがあり,冬から春にはミカン問屋,年末には松飾商人も商売を許されていた。この一画には牛車置場があり,また房州への船便の出る木更津河岸(きさらづがし)も設けられるなど,まさに交通の要所として人々が集まる盛場であった。現在,広小路といえば上野広小路が有名である。ここは東叡山寛永寺黒門前に設けられた火除地であり,下谷(したや)広小路とも呼ばれていた。ただし上野広小路が現在のように繁華街の中心になるのは近代になってからであり,江戸時代には,後に上野駅構内になる山下と呼ばれた一帯が,むしろ広小路としてはにぎわっていた。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「広小路」の解説

広小路
ひろこうじ

近世都市における幅の広い道路空間。設置の目的は防火帯としての火除地であることが多かったが,仮設の店舗をおくことが許可されることにより,盛場が営まれる空間となった。小間物商・蜜柑問屋・年末の松飾商人などの床見世(とこみせ)ばかりでなく,大道芸や芝居・軽業・土弓(どきゅう)の小屋,あるいは楊弓場(ようきゅうば)・水茶屋などが立ち並んだ。武家地と町人地の間に設定された名古屋の広小路,江戸では両国・江戸橋・上野・外神田・浅草・本郷などがある。

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世界大百科事典(旧版)内の広小路の言及

【火除地】より

…江戸の多発する火事に悩んだ幕府が,延焼防止のため設けた防火地帯の総称。江戸城用のものを火除明地(ひよけあきち),一般市街地のものを広道または広小路(ひろこうじ)とも呼んだ。また広道に土手を築いた火除土手もあった。…

【矢来】より

…《洛中洛外図》などには,室町時代末期から江戸時代初期にかけて,京都四条河原でさまざまな踊り,歌舞伎などが演じられたようすが描かれるが,これらの舞台は竹矢来に筵(むしろ)や幔幕(まんまく)をひきめぐらして作っている。江戸においても,人々の集まる広場としての役割を果たしていた両国広小路,江戸橋広小路などでは,火除地(ひよけち)であるため恒久的な施設は作れなかったが,交通規制のための矢来が作られ,また許可を得て各種見世物や芝居,相撲などの興行を行う場合は,まず矢来で囲って場所を作り,簡単な小屋掛けをして葭簀(よしず)を張るなどして舞台をしつらえた。【玉井 哲雄】。…

【両国橋】より

…橋名は川をはさみ武蔵と下総の両国に架されたことにちなんだものである。1719年(享保4)橋の東西の広小路を町人に貸し,水防のための収入を得た。以後,橋をはさんで見世物小屋など各種の店が繁栄し,夏の川開きや花火など江戸最大の繁華地となった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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