出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
灌漑(かんがい)水をたたえて作物を栽培する耕地。田の本来の字義は禾穀(かこく)を栽培する区画された土地のことで、陸田と水田とがある。中国や朝鮮半島では陸田を田といい、畑と同義に用いているが、日本では水稲栽培がおもなので、水田を田と略称している。水田には水稲のほか、イグサ、クワイ、ハトムギ、ハス、サトイモ、タロイモ、マコモなどが栽培される。
水田は周囲をあぜ(畦)で囲い、田面を水平にして3~10センチメートルの水深を均等に保つようにする。このために水田の土壌底部は底締(そこじ)めといって土壌を緊密にし、また表面の作土は代掻(しろか)きし、あぜの側面はあぜ塗りするなど、たたえた水が地下へ漏れるのを防ぐ。灌漑水は、あぜの一部を切ってつくった水口(みなくち)から入れ、それと反対側のあぜにある排水口から余剰な水を出す。灌漑水は水田に沿った灌漑水路から供給され、またそこへ排出されるが、田から田へといくつかの田に連続して供給されてから水路に出されることも多い。
水田は一般に河川流域や湖沼周辺の低湿の土地、扇状地低部、盆地、海岸のデルタなどにつくられる。丘陵地などではその谷間に湧水(わきみず)などを利用した谷地田(やちだ)がつくられ、さらに高地では降雨だけに依存する天水田(てんすいでん)がつくられている。天水田は急斜面に階段状につくられるので、棚田(たなだ)ともよばれ、「田毎(たごと)の月」で名高い長野県更科(さらしな)地方などの高地のほか、四国の海岸や各地の島嶼(とうしょ)にみられる。東南アジアの各地にも多い。
水田は排水の良否によって乾田(かんでん)と湿田(しつでん)とに分けられる。乾田は排水がよく、水稲の栽培が終わって灌漑を止めると畑状態となる。このため裏作としてムギ類や野菜を栽培することができ、この場合は二毛作田という。乾田の土壌は透水性がよく、酸素がよく供給されるので、堆厩肥(たいきゅうひ)が多く施されても有機質の異常還元がおこらず、水稲の根に障害を与えないので生育が優れ、高い収量をあげることができる。湿田は排水が悪く、常時湛水(たんすい)状態のため土壌は還元的になり、水稲の生産力は一般に低く、作業労力も多くかかり、二毛作もできない。土壌の還元化が長く続くと、土中の鉄やマンガンが還元されて地下へ流失してしまう。これを老朽化水田といい、有機質や肥料が還元されて硫化水素など有害物質も多く出る。イネの根は鉄の被膜をつくってこれら有害物質を防ぐのであるが、老朽化水田ではそれができず、イネの生育は後半になると衰えるので、これを秋落ち水田ともよぶ。泥炭土、黒泥土、湖沼地などで有機物が異常に多い水田にみられ、とくに夏に高温になる西南暖地に多い。また、灌漑水がイネの生育に低温すぎる田を冷水田(れいすいでん)といい高冷地に多い。この場合、冷水の入る最初の田は作付けをせず、水温を上昇させてその水を次の田に灌漑する。この最初の田を温水田(おんすいでん)という。冷害の年には水口の田は生育が悪いが、これを温水田として利用し、犠牲田とよぶ。ほかに、床土が砂土や砂礫(されき)が多くて水漏れの多い漏水田、海岸や海底干拓地で残留塩のため被害のおこる塩害田なども生産力の低い水田である。
日本の水田は、かつては土地の傾斜ぐあいや灌漑水路の河川の位置に従って、ほぼ四角形ではあるが、ゆがんだ形につくられ、その大きさも人力による作業のために、大きくても1反(10アール)で小さいものは1坪(3.3平方メートル)に満たないものまであった。山地の田ほど小さく不定形であった。しかし現在は、1963年(昭和38)から実施されている「ほ場(圃場)整備事業」によって、水田の区画も農業機械を使用するうえで作業能率の高い正・長方形に、面積も30アールを標準区画とした水田基盤整備が進み(整備率は2000年現在58.2%)、また灌漑・排水施設も備えられて、生産力の向上が図られている。
日本では水稲の伝来とともに水田が開かれた。弥生(やよい)時代の水田遺構として静岡県登呂(とろ)遺跡が知られているが、1981年(昭和56)、青森県田舎館(いなかだて)村に約2000年前とみられる地層から大規模な水田が発見されて、日本の稲作史の新しい問題点となっている。日本の水稲作付面積は、江戸末期までに250万ヘクタールに及び、大正時代には300万ヘクタールに達した。現在は生産調整や宅地等への転用、壊廃などで水田面積は減少し、2001年(平成13)では170万ヘクタールとなっている。
世界の全水稲収穫面積は約1億5000万ヘクタール(2001)で、全耕地面積の10%強にあたる。アジア地域に全体の約90%が集中しており、インド約4450万ヘクタール、中国約2860万ヘクタール、インドネシア約1180万ヘクタールなどが多く、そのほかバングラデシュ、タイ、ベトナム、ミャンマーなども面積が広い。東南アジアの水田は河川沿岸、海岸デルタ地帯に多く、雨期には冠水するような湿田が多い。また高地には天水田が多く、いずれも1経営当り面積は小さく、生産力が低い。アメリカでは南部やカリフォルニア州に水田があり、高度に機械化された大規模経営である。アメリカの水田は等高線に沿ってあぜを設けた幅の広い帯状で、水稲は直播(じかま)き栽培され、乾田で、飼料作物などと輪作され生産力が高い。イタリアのロンバルディア平原、フランスやスペインの地中海沿岸、エジプトなどの水田は灌漑施設がよく整備され、飼料作物との輪作もされて、これらも生産力は高い。また中国の東北地区、黒竜江省などでも水稲栽培が広まるなど、水田は従来より緯度の高い地域にも拡大してきている。
[星川清親]
水をたたえて農作物を栽培できるようにした耕地のことで,田またはたんぼともいう。漢字の〈田〉は本来水田および畑の総称であったが,現在日本では,もっぱら水田を意味することばとなっている。水田では水をたたえた土壌条件に適応して生育する作物,すなわち水田作物が栽培される。イネ,イグサ,ハスなどはその代表的なものであるが,世界的にみて水田の圧倒的な部分はイネの栽培にあてられている。水田で栽培されるイネは水稲とよばれ,畑で栽培される陸稲と区別され,両者は遺伝的にも異なった品種群に属する。一般に,水稲は陸稲と比較して収量が高く,作柄も安定しているため,稲作地帯では水田を造成して水稲を栽培する傾向が強い。コムギ,トウモロコシとならんで世界の三大穀物の一つと数えられるイネは,その大部分が水稲であり,その栽培の中心である東南アジアのモンスーン地域の農業地帯は,水田特有の景観によって特徴づけられている。水稲作を農業の根幹とする日本では,耕地の過半は水田によって占められており,その分布は平野部から山間部にまで広がっている。
水田は,古くは河川流域などに広がる湿地を利用して造成されたものと考えられ,初期の水田は,年間を通じて土壌が湿潤状態にある湿田を主体とするものであった。現在の日本でも,排水施設がととのわなかったり排水の容易でない地域,あるいは灌漑水が得られないため雨水や湧水を貯留しなければならない地域(このような地域の水田は天水田といわれる)には湿田が残っている。湿田では水田作物以外の作物を栽培することは不可能で,また泥沼状の土壌では機械力など近代的な諸技術の導入も困難であり,土地の利用や生産の向上をはかるうえで,障害となることが少なくない。そこで排水施設を設けるとともに,灌漑水を確保する方策を講じ,水稲栽培に必要とされる時期以外は水を落とし,畑状態にすることのできる水田,すなわち乾田がしだいに発達してきた。乾田では,夏に水稲を栽培し冬には麦類を栽培するといった水田二毛作や,なん年かの周期で畑利用と水田利用とを交代させる田畑輪換など,耕地を高度に利用する方式を導入することが可能となる。明治期以来日本で,湿田の乾田化が国家的な事業として推進されてきたのは,このような理由によるものである。
水田が畑と基本的に異なる点は,水をたたえることによって空気が遮断され,土壌中への酸素の供給が妨げられることにある。このため,土壌微生物は種類や代謝様式が変化し,土壌は酸化的な状態から還元的な嫌気状態となる。このような条件下では,畑状態では急速に分解し消失してしまう有機物が土壌中に蓄積され,これが徐々に分解される過程で放出される栄養塩が,作物に十分活用されるようになる。また水田においては,天然供給として灌漑水を通じて送りこまれる栄養塩類も相当な量に達する。なん百年にもわたって無肥料のまま水稲が栽培されてきた地域の水田で,なお土地がやせることなく一定の収量を維持しているのは,水田のこのような特質にもとづいている。ただし水田では,夏の高温時などに土壌の還元状態がいちじるしくなると,硫化水素などの有害物質が生成され,水田作物であっても根腐れ症状をひき起こすことが多い。とくに硫化水素と結合してこれを無毒化する鉄が,土壌中から溶脱してしまった水田は,老朽化水田といわれ,根腐れを通じていわゆる〈秋落ち〉をまねく。
水田はまた土壌浸食の防止という面からみても有利な特性をもっている。畑土壌では,とくに作物の被覆がない場合に土壌表面が乾燥すると,強風によって風食をうけ,あるいは豪雨によって水食をうける。いずれの場合も肥沃な表土が流亡し,耕地に大きな損害を与えるものとして,土壌浸食は現在世界的に注目されるところとなっている。水をたたえた水田では,耕地全体が流出するような大水害時を除き,土壌浸食はほとんど起こらない。このことは単に個々の水田の問題にとどまらず,国土保全という視点からも大きな意味をもつものである。同様の視点から,水田は洪水調節の機能あるいは地下水涵養(かんよう)の機能をもつものとして注目されているが,一方,限られた水資源の有効利用という点からは,工業用水との競合がしばしば問題とされている。
世界のイネ栽培面積は全耕地面積の1割に相当する約1億4500万ha(1979)で,その90%はアジアに分布している。発展途上国のイネ栽培は自然の降雨に依存することが多いため,水田と畑の区別は必ずしも明りょうでないが,イネ栽培面積の大部分は水田とみなすことができる。これら水田の分布は熱帯から温帯にかけての地域を中心とし,北緯50°(中国東北地方),南緯35°(南アメリカ)に及んでいる。欧米の先進国では,灌漑施設をもつ耕地が,輪作体系の一環として水田に使われ,機械化された大規模な稲作が行われている。日本の水田面積は全耕地の55%を占める272万ha(1996)であるが,1970年以降は国内産米の過剰生産を解消する方策として実施された生産調整のため,実際の水稲の作付面積は197万ha(1996)に激減し,余剰の水田は畑作物の作付けに転用されるか,休耕田として放置されている。
→田
執筆者:山崎 耕宇
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…福岡市博多区大字板付にある弥生時代の集落,墓地,水田などの総合遺跡。遺跡は御笠川左岸に近接した低段丘とその周囲の沖積地にある。…
…
[水稲と陸稲およびうるち種ともち種]
日本型とインド型の別を問わず,イネは耕地の水条件に適応して分化したとみられる水稲と陸稲(おかぼ)に区別される。水稲は通常湛水(たんすい)した水田に栽培されるが,耐乾性の強い陸稲は畑に栽培される。世界的にみれば水稲の作付比率が圧倒的に高いが,東南アジアの山岳地帯などを中心として,水利のととのわない地域において,陸稲は重要な畑作物の一つとなっている。…
…作物栽培に必要な期間以外は落水し,乾かすことのできる水田をいう。湿田との対比で使われる用語である。…
…日本の原始・古代の社会は,採取,漁労,狩猟の社会から,水田耕作を中心とする農耕社会へと発展し,農耕社会の基盤の上に古代の文明が形成された。先土器時代と縄文時代とは採取,漁労,狩猟を中心とする労働によって営まれた時代であり,弥生時代以後は農耕を中心にする社会である。…
…江戸前期の俳人。姓は水田,名は元清,通称は庄左衛門,別号は桜山子,落月庵,岡松軒。摂津国巌屋(現,神戸市灘区)の人。…
…一般に中耕は集約的農業で実施されるもので,中耕の効果の著しくあらわれる作物は中耕作物,耨耕(じよつこう)作物などと呼ばれる。 日本の水田では,江戸時代から腰を曲げて雁爪(がんづめ)(刃が3~5本に分かれた小型のくわ)を田面に打ち込む中耕が行われ,明治末以降は水田の中を固定爪や回転爪を押して表土をかくはんする中耕除草機が普及してきたが,中耕は夏季の最大の重労働となっていた。水田における中耕の効果については,雑草防除のほかに,地温の上昇,土中への酸素の導入,土中の有害ガスの除去,土中の有機態窒素の無機化,一時的断根による新根発生の促進などが,水稲の生育に良い結果をもたらすとの説が唱えられていた。…
…これに対して,東北地方の北端部に至るまで,同時代の遺跡から炭化米や籾痕(もみあと)をとどめる土器が多数見いだされることによって,垂柳の土器をはじめとする東北地方の同時代の土器は,続縄文土器ではなく弥生土器であるとの反論が1950年代に掲げられた。そして83年以来,垂柳遺跡で大規模な水田遺構が見いだされた結果,この遺跡が弥生文化に属することが決定した。 一方,弥生文化が誕生した北部九州の情勢をみると,最古の弥生文化について異なった見解が対立している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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