大岡越前守(読み)おおおか えちぜんのかみ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大岡越前守」の解説

大岡越前守 おおおか-えちぜんのかみ

大岡忠相(おおおか-ただすけ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「大岡越前守」の意味・わかりやすい解説

大岡越前守【おおおかえちぜんのかみ】

大岡忠相(ただすけ)

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世界大百科事典(旧版)内の大岡越前守の言及

【扇音々大岡政談】より

河竹黙阿弥作。1875年(明治8)1月28日から東京新富座で,大岡越前守を5世坂東彦三郎,天一坊を5世尾上菊五郎,山内伊賀亮を初世市川左団次によって初演。享保年間(1716‐36),南品川の山伏常楽院方に寄寓する源氏坊天一という者が,時の将軍8代吉宗の落胤と名乗って,浪人を集め,人々から金を集めた。…

【大岡政談物】より

…歌舞伎,講談,人情噺,浪花節などで江戸南町奉行大岡越前守が登場する作品群をいう。大岡忠相は,享保年間(1716‐36)に町奉行をつとめ,名奉行の聞こえ高かった人物。…

【大岡忠相】より

…江戸中期の幕臣,政治家。幼名は求馬,のち市十郎,忠右衛門。先祖は徳川氏三河以来の譜代。忠高の第4子。1686年(貞享3)同姓の忠真の養子となる。93年(元禄6)実兄が八丈島に流罪,96年一族の忠英(書院番)が番頭を殺害してみずからも死ぬという事件が起き,彼の一族とともに連座するという不幸にあうが,以降は順調であった。すなわち1700年に養父の遺跡1920石を継ぎ,02年書院番,04年(宝永1)徒頭,07年使番,08年目付を経て12年(正徳2)山田奉行となり,従五位下能登守となる。…

【奥付】より

…日本の書籍や雑誌の末尾に,著作者あるいは編集者,発行者,印刷・発行の年月日,版数や刷数,著作権の表示,定価など,出版発売に関する必要事項を記載した部分をいう。歴史的には11世紀末から始まった〈刊記〉(開版年紀,開版地名,開版書肆(しよし)または開版人などを表示したもの)に由来し,法制としては1722年(享保7)に南町奉行大岡越前守が猥褻(わいせつ)書を取り締まるために発した御触書が初めである。以後これが踏襲され,とくに1869年(明治2)の〈出版条例〉,ついで93年の〈出版法〉によって不可欠のものとなった。…

【丹下左膳】より

…ほかに丹下左膳を演じた俳優としては,第2次世界大戦以前に月形竜之介,戦後に阪東妻三郎,水島道太郎,大友柳太朗,丹波哲郎,中村錦之助(のち萬屋錦之介)がいる。 このように数多くの丹下左膳映画がつくられてきたのは,片目片腕の虚無的な主人公の怪人ぶりが波乱に富んだストーリーのなかで魅力的に発揮されることに時代劇ならではのおもしろさがあるためであるが,それにからまって,妖婦櫛巻お藤や少年チョビ安など周辺人物の多彩さ,またほとんどの場合に主役が丹下左膳とともに大岡越前守を一人二役で演じたこと(一人三役・四役の場合もあった),さらには丹下左膳が女ものの長襦袢を着ていることに見られる衣装の華やかさ等々,あらゆる要素が映画的な魅惑を放っていることも見落とすことはできない。また,丹下左膳の怪人ぶりが人気を得る背景には,明らかに異様なもの,グロテスクなものへの興味があって,その点をさらに際物的に強めたものとしていくつかの〈女左膳〉映画がつくられている。…

※「大岡越前守」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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