エボ

世界大百科事典(旧版)内のエボの言及

【ヒンクマール】より

…その性狷介で教皇や王の管区内への介入を排し,大司教の権威の絶対化に努め,かつ成功した。彼はロタール派の前任者エボEbo(?‐851)の罷免の後に選出されたため,とくにエボの復位の試みを妨げ,エボの叙任によって所属司教となった者の叙任を取り消し,彼の甥のラン司教ヒンクマールをも,大司教に対する不服従のゆえに罷免した(871)。西フランク王カール2世禿頭王には概して忠誠であったが,王のあらゆる介入を拒否し,しかもその宮廷を牛耳った。…

【ルートウィヒ[1世]】より

…帝国遺贈令の処置は宮廷の大部分を巻き込むイタリア王ベルナールBernhard(797ころ‐818)の反乱(818)を招き,822年教会は彼に痛悔を命じた。さらに後妻ユーディットとの間に末子カール2世をもうけると(823),その取り分をつくるために,数回にわたって分国令を改め,すでに成人している3子の反乱を招き(830),ランス大司教エボらもこれに加わり,一時廃位された(833‐835)。彼は死後の王国分割を決定しえぬまま,兄弟間の紛争を残して没した。…

※「エボ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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