…人口761万6000(1994)。古代ギリシア・ローマ時代はビュザンティオンByzantion,ビュザンティウムByzantium,ビザンティン時代はコンスタンティノポリスKōnstantinoupolis∥Constantinopolisの名で知られ,トルコ語で正しくはイスタンブルとよばれる。コンスタンティノポリスの英語名コンスタンティノープルConstantinopleも旧称として広く使われている。…
…またキリスト教は皇帝権力をイデオロギー的に支える宗教として重視されることになり,コンスタンティヌスを,神の恩寵を一身にうけ,神の代理人として統治する崇高なる君主ととらえる,キリスト教的〈神寵帝理念〉をうち出したのは教会史家エウセビオスであった。 以上の諸施策は新首都コンスタンティノポリスにおいて推進された(330遷都)。すでに3世紀からローマ市の首都としての意味は失われており,人口のうえからも文化・経済上の理由からも帝国の中心は東方ギリシア世界に傾いていた。…
…彼の自発的退位(305)に際して再び起こった内乱のなかからコンスタンティヌス1世とリキニウスが勝ち残り,再度(313,314)の内戦ののちコンスタンティヌス1世が単独皇帝として残った(在位306‐337)。すでにディオクレティアヌスは首都をニコメディアに移していたが,コンスタンティヌス1世はビュザンティオンの地に新首都コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス。現,イスタンブール)を建設し(330),帝国の重心を東に移動させた。…
※「コンスタンティノポリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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