百科事典マイペディア 「ポアティエの戦」の意味・わかりやすい解説
ポアティエの戦【ポアティエのたたかい】
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…フィリップ6世の子。彼の治世は百年戦争の渦中にあって,政治的・社会的混乱はいちじるしく,ポアティエの戦(1356)では,エドワード黒太子のひきいるイギリス軍に敗れ,王自身も捕虜となり,ボルドーからロンドンに連行された。その間,皇太子シャルル(のちのシャルル5世)が摂政となり,フランスが直面する内外の危機の打開につとめた。…
…ガロ・ロマン時代から開けた地。732年カール・マルテルはこの近傍でイスラム教徒を阻止し,また百年戦争初期のポアティエの戦(1356)ではフランス軍がこの地で敗れた。1431年には大学が創設されている。…
※「ポアティエの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...