一般に,戦争において敵の権力内におちいった者の総称であり,国際法上その資格要件と待遇が定められている。もっとも,交戦国による捕虜の取扱いは大きく変遷してきた。近代以前の戦争において,捕虜は殺害されあるいは奴隷となり,17世紀になると捕虜交換や身代金制度が始まった。18世紀にはフランス革命を契機に,当時の人権思想に基づいて捕虜に一定の人道的待遇を与えることが要求された。この要求は近代国家における国民軍制度の採用によって強まったが,19世紀後半以来不正規兵の戦闘参加の増大につれ,交戦者資格ないし捕虜資格の要件を満たした者のみに捕虜待遇が与えられることになった。1907年のハーグ陸戦規則は,正規軍構成員のほか,公然武器携行等一定の条件を満たす民兵や義勇兵団,さらに群民兵にも捕虜の取扱いを受ける権利を与えた。第2次世界大戦の経験をふまえた49年のジュネーブ捕虜条約(〈赤十字条約〉の項を参照)は,紛争当事国に属する組織的抵抗運動団体の構成員でその領域の占領の有無を問わずその領域の内外で行動する者にも捕虜資格を与えた(4条は捕虜資格者を詳細に列挙)。そして,この条約の77年第1追加議定書は,民族解放戦争の自由の戦士にも捕虜資格を与える道を開いた。
他方,1949年のジュネーブ捕虜条約は捕虜の待遇について詳細に定めた。まず,捕虜の一般的保護の基礎にある原則として,捕虜は敵国の権力内にあるものとし,これを捕らえた個人または部隊の権力内にあるものではなく,したがって抑留国が捕虜に与える待遇について責任を負うことが明記された。捕虜の保護内容としては,人道的待遇,健康に重大な危険を及ぼす行為の禁止,暴行,脅迫ならびに侮辱や公衆の好奇心からの保護等があげられる。捕虜の労働についても,労働時間,休息,労働条件,労働賃金の支払等がこまかく規定された。また,抑留国は捕虜につきその本国に通知し,その家族および中立国に設置される中央捕虜情報局への通知票送付を認めなければならない。敵対行為終了後,捕虜は遅滞なく解放しかつ送還しなければならない。
執筆者:藤田 久一
古くは戦時の捕虜は殺害されるか,でなければ奴隷として売却されるのが普通であった。カエサルがガリアに転戦した際,捕虜を買い受ける奴隷商人が軍団に随行していた。中世初期,代価による解放の例があるがまだ偶発例にすぎない。身代金が慣行として,いわば戦闘のルールの中に組み込まれるためには,キリスト教が軍人社会に浸透するとともに,敵味方を超えた戦闘員身分の連帯感,勝ち負けは時によるとの認識の形成が不可欠であった。また武具の変遷,とくに防具の重甲化が戦場における損耗率を低下させ,敵を殺戮するのでなく捕虜として捕らえることを可能にしたのである。その結果,オルデリック・ビタルの年代記は,ブレミュールの合戦(1119)に参加した900騎のうち死者がわずか3名にすぎなかったことを説明して,〈彼らは鉄でおおわれていたうえに,神に対する畏敬と友愛によって手加減を加え,敵を殺すのでなく捕らえようと努めたからである〉と記している。1127年フランドル伯シャルル・ル・ボンが殺害されたあとほぼ1年間続いた戦乱でも,死者は7名,しかもそのうち4名は事故死であったと伝えられる。12~13世紀,一般に主君のための身代金調達は家臣の重要な義務の一つとされていた。史上おそらくもっとも高額な身代金は,フランス王ジャン2世の場合であろう。彼はポアティエの敗戦(1356)でロンドンに幽閉され,ブレティニイの和約で妥結した身代金は金貨300万エキュに達した。ただし,身代金は騎士身分相互間にかろうじて定着した慣行であって,異教徒に対する十字軍,農民反乱の鎮圧,市民軍との衝突ではその例をみない。14~15世紀,野盗化した傭兵集団は農民から身代金を取ったが,これは営利誘拐の一種で戦時捕虜の場合とは別である。中世末,動員兵力の大型化,さらに火器の登場によって戦闘は再び無差別殺戮の様相を呈し,身代金の慣行はしだいにすたれていく。すでにアザンクールの合戦(1415)での死亡率は,敗戦側で戦闘参加人員の40%に達したといわれる。
執筆者:渡辺 昌美
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捕虜とは、戦争において敵の権力内に陥った者をさすが、捕虜待遇を与えられるための資格要件は国際法によって定められている。1899年ハーグ陸戦規則(1907年改定)、1929年ジュネーブ捕虜条約(1949年改定)、1949年捕虜条約を含む1949年ジュネーブ諸条約に対する1977年第一追加議定書によって捕虜資格要件は漸次緩和され、今日では国家の正規軍・不正規軍構成員のほか、民族解放戦争において民族自決のために闘う戦闘員にも捕虜待遇を受ける資格が認められてきている。また、軍隊構成員ではないが、従軍記者や需品供給者など許可を得て軍隊に随伴する者、商船や民間航空機の乗組員で敵の権力内に陥り他の国際法規定によっていっそう有利な待遇を受けない者にも同様に捕虜待遇が与えられる。捕虜の取扱いもフランス革命以来人権思想に基づく人道的待遇が要求され、上記の捕虜条約には詳細な保護規定が置かれている。それによれば、捕虜の一般的保護の基礎にある原則として、捕虜はこれを捕らえた個人または部隊の権力内にあるのではなく、抑留国が捕虜待遇について責任を負う。捕虜の保護内容としては、人道的待遇、健康に重大な危険を及ぼす行為の禁止、暴行・脅迫ならびに侮辱や公衆の好奇心からの保護などがあげられる。抑留国は捕虜につきその本国に通知し、その家族や中央捕虜情報局への通知票送付を認めねばならず、敵対行為終了後は捕虜を遅滞なく解放しかつ送還しなければならない。
[藤田久一]
字通「捕」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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…戦場において敵の将兵を生かしたままでとらえ捕虜にすることで,生虜あるいは生獲ともいった。捕虜は事後殺される場合が多いが,その処遇の仕方は生捕りされた者の地位や事情で異なる。…
… なお国際法上,捕らえられたゲリラの取扱いが問題となる。第2次大戦中のレジスタンス運動の経験から,1949年の捕虜の待遇に関するジュネーブ条約は,義勇隊や民兵隊に要求されるのと同じ条件を満たす〈組織的抵抗運動団体〉の構成員に対しては捕虜待遇を認めた。しかし,その条件を満たすことはゲリラの場合には不可能に近いため,現在の国際法の下では,捕らえられたゲリラは戦時犯罪として処罰を免れえない。…
…戦闘員は敵対行為に直接参加する権利を有する。そのため逆に,戦闘員は敵の攻撃対象とされうるが,傷病や投降により戦闘外におかれた場合には一定の保護が与えられ,敵の権力内に陥った場合には捕虜となる。他方,非戦闘員はおもに交戦国の文民・一般住民であるが,戦闘員以外の国民のすべてを指し,さらに自国に在留する外国人(中立国および相手交戦国国民を含む)をも含む。…
※「捕虜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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