メクレンブルク公国(読み)メクレンブルクこうこく(その他表記)Herzogtum Mecklenburg

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メクレンブルク公国」の意味・わかりやすい解説

メクレンブルク公国
メクレンブルクこうこく
Herzogtum Mecklenburg

神聖ローマ帝国の北部,ブランデンブルクとホルシュタインポンメルンに囲まれたバルト海西部沿岸に形成されたドイツの領邦。 12世紀にザクセン公ハインリヒの勢力のもとで,この地の先住スラブ人がドイツ化され,シュウェリン伯領と結合して 14世紀中頃には帝国直属の公国となった。 16世紀中頃宗教改革によってルター主義を取入れたが,その後 17世紀までに公家は分割相続などのため政治的に弱体化し,18世紀にはグーツヘルシャフトに基づく貴族領主の勢力が著しく伸張した。身分制国家体制が遅くまで維持された数少い諸侯領の一つである。ナポレオン1世時代に,この公国はシュウェリン系とシュテルリッツ系に2分されたままでライン同盟に加わり,1815年には大公国に昇格。 1918年の革命で公国は消滅し,ようやく真に自由主義的な統治体制が樹立された。

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