エストレマドゥーラ(英語表記)Extremadura

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エストレマドゥーラ
えすとれまどぅーら
Estremadura

イベリア半島南西部の歴史的地方名。大部分はスペイン南西部のエストレマドゥーラExtremadura地方にあたるが、ポルトガル中西部にもエストレマドゥーラ地方として名が残る。スペインのエストレマドゥーラ地方は、カスティーリャ・ラ・マンチャ地方西部から、東はポルトガル国境まで、南はシエラ・モレナ山脈にかかる地域で、現在のカセレス、バダホスの2県を含む。面積約4万1600平方キロメートル。メセタの西縁部にあたり、土壌がやせていることより、むしろ気候が非常に乾燥しているため、灌木(かんぼく)の茂る荒れ地、ステップ(短草草原)が広がる。産業は、大土地所有制のもとに、主として粗放的農業、牧羊が行われ、人々は貧しい。しかし近年、グアディアナ川河谷を中心とするバダホス計画により、ダムの建設や植林が進み、一部で灌漑(かんがい)による集約的農業が行われるようになった。またブタの飼育も近年重要な位置を占めている。人口は1960年代以降減少し続け、中南米への移民が多い。ポルトガルのエストレマドゥーラ地方は、テージョ川(スペイン名タホ川)河口一帯のレイリア県南部からリスボア(リスボン)県を経てセトゥーバル県北部に至る地域で、首都リスボンを中心とする。面積約6000平方キロメートル。[田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

地名の由来は、ローマ支配時代の「地の果て」あるいはレコンキスタ(国土回復戦争)時代の「極西の地」など諸説がある。ローマ皇帝アウグストゥスの時代に、エメリタ・アウグスタ(メリダ)を首都として、ローマ帝国の属州ルシタニアとなった。西ゴート朝滅亡後、コルドバのカリフの支配下に入り、それ以降、キリスト教徒によるレコンキスタの舞台となる。イスラムから取り戻した地は、騎士団や貴族階級に分配され、ラティフンディオ(大土地所有制)の源となった。14世紀になると、スペインとポルトガルとの国境線が緊張し、1336年、1385年、1396年と繰り返しバダホスをめぐる戦いが展開し、さらに15、16世紀には興隆してきた前記の二大国の争いの地となった。この地から人文学者ネブリハNebrija(1444―1533)や、コルテス、ピサロなどの新大陸征服者たちが輩出している。17世紀のポルトガル独立戦争、18世紀のスペイン継承戦争、19世紀ナポレオン侵入の独立戦争では、この地が数々の戦場となった。エストレマドゥーラの最大の問題は、土地所有が不公平なことと、みるべき産業のなかったことであり、啓蒙(けいもう)君主といわれたカルロス3世の時代から、さまざまな施策がとられてきている。しかし十分な成功をみなかったこともあり、19世紀になっても中南米への移民を数多く送り出してきた。バダホス計画とは、共和制の時代に出された産業開発計画である。1936年、内戦に突入すると、ヤグエ将軍に占領され、国民戦線(フランコ陣営)に属することになった。[丹羽光男]

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