世界大百科事典(旧版)内のスチュアート,Jamesの言及
【グリーク・リバイバル】より
…18世紀中葉以降の新古典主義建築の中に主として見られるギリシア様式再発見と応用の動きを指していう。スチュアートJ.StuartとレベットN.Revettが現地調査にもとづいて1762年に出版した《アテネの古代遺物》が,この機運の出発点となった。この頃からギリシアを訪れる芸術家や知識人が相次ぎ,エルギン卿はアテネのパルテノン神殿の大理石彫刻をイギリスに持ち帰る(エルギン・マーブルズ)。…
【フォンダ】より
…新聞記者を志してミネソタ大学でジャーナリズムを専攻するが,家庭の事情で中途退学。アマチュア劇団をへて,演劇集団〈ユニバーシティ・プレーヤーズ〉に加わり,のちにブロードウェーの演出家になるジョシュア・ローガン,ブロードウェーからハリウッドのスターになるジェームズ・スチュアートたちと活動をつづける。1929年から端役でブロードウェーの舞台に立ち,《ニュー・フェース》につづく《農夫の妻》(1934)の主役を演じて注目を浴び,その映画化作品《運河のそよ風》(1935)でスクリーンにデビュー。…
※「スチュアート,James」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」