日本大百科全書(ニッポニカ) 「プチロフ工場」の意味・わかりやすい解説
プチロフ工場
ぷちろふこうじょう
Путиловский завод/Putilovskiy zavod
ロシアにおける重機械工場の一つ。現在名キーロフ工場。革命運動の伝統をもつことで知られている。1801年にサンクト・ペテルブルグに創設されたが、1868~77年に企業家のプチロフН. И. Путилов/N. I. Putilovが所有したためこの名称をもつ。労働者数は1899年で1万2000人、1917年10月には約2万8200人を数え、ロシア最大の工場であった。1890年代には工場内にナロードニキ系や社会民主主義者の秘密サークルが形成されており、1905年の「血の日曜日」の発端となったゼネストが、プチロフ工場労働者のイニシアティブで始まったことは有名である。第一次世界大戦中、同工場のストライキ参加者は延べ16万人以上で、これはサンクト・ペテルブルグの全ストライキ労働者の13.5%にあたるといわれる。17年の二月革命後、諸党派の代表は競って同工場で演説したが、ボリシェビキ(多数派)の影響が強かった。十月革命時、同工場は1500人の赤衛隊員を組織してソビエト政権を支持、さらに内戦期の各戦場に多くの労働者を送り出した。同工場は18年初めに国有化された。
[藤本和貴夫]