朝日日本歴史人物事典 「万屋兵四郎」の解説
万屋兵四郎
生年:文政1頃(1818)
幕末明治の書肆。福田氏。名は群,字は敬業。鳴鵞と号す。家号は老皀館。信州の出で,もとは小林氏。弘化3(1846)年に江戸に出,本所で薪炭を商う万屋を継いだ。書肆活動の初めは安政4(1857),5年ごろで,『地球説略』(1860),『万国公法』など,主に洋書の漢訳本の翻刻を取り扱い,医学所,開成所の翻訳書や,本邦初の海外ニュース『官板バタビヤ新聞』(1862)なども発行し,時代の要請に応えた。慶応1(1865)年,加賀藩に招かれて活動を中断。のち東京府に出仕。書画詩文に優れ,鑑識に長けており,第1回内国博覧会の審査官を務めたという。<参考文献>井上和雄「出版界の異彩万屋兵四郎」(『増補書物三見』)
(安永美恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報