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→北条早雲
…1432年(永享4)には,東海道の小田原の関があり,関銭が鶴岡八幡宮修理料となっていた。駿河今川氏のもとにあった伊勢新九郎長氏(後に北条早雲)は,93年(明応2)に伊豆の堀越公方家の内紛に介入して足利茶々丸を殺し伊豆を制圧すると,95年には大森藤頼を小田原城から追い,ここを居城とした。以来,後北条氏は,氏綱,氏康,氏政,氏直の5代,約100年の間小田原を本城として,関東各地に進攻して領国を拡大し,小田原城下町は領国の中心として繁栄した。…
…早雲は庵号で,また彼は北条を称したことはなく,一般にいいふるされている呼称は俗称。正しくは伊勢新九郎で,入道して早雲庵宗瑞あるいは宗瑞とみずから記している。実名は長氏とされ,また氏茂などを伝えているが,いずれも確証はない。…
※「伊勢新九郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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