南畑敷村(読み)みなみはたじきむら

日本歴史地名大系 「南畑敷村」の解説

南畑敷村
みなみはたじきむら

[現在地名]三次市南畑敷町

馬洗ばせん川の南に位置し、北は畠敷はたじき村、南は東酒屋ひがしさけや村に接する。南畠敷村とも記す。古くは畠敷村と一村であったが、馬洗川を境に南が分村。その時期は不明であるが、元和五年(一六一九)の備後国知行帳にはすでに南畠敷村三九〇石七升五合とある。

広島藩領であったが、寛永九年(一六三二)より享保五年(一七二〇)までは三次藩領。寛永九年の因幡守様御領分小物成目録(鳳源君御伝記「三次分家済美録」所収)には南八次みなみやつぎ村とし、綿三六匁・漆一四匁・漆の実一升・茶一二五匁の小物成として計四匁九分四厘の銀が徴集されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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