朝日日本歴史人物事典 「吉田友直」の解説
吉田友直
生年:宝暦2(1752)
江戸中期,上野国群馬郡渋川村(渋川市)の農学者,教育者。字は子正,通称宇助,襲名して甚兵衛を名乗り,芝栖のち芝渓と号した。農商兼業の家に生まれたが,若くして地元の儒者山崎石燕に学ぶ。のちに昌平黌の聴講生となり,天明5(1785)年,上野国に来遊した京都の儒学者平沢旭山から影響を受けたといわれる。その後,塾を開き門弟を教えるかたわら,農学の素養と農業・養蚕業や山林開拓などの体験に基づき,相次いで『救荒須知』(現存せず),『養蚕須知』(1794),『開荒須知』(1795)などの実学書を著した。文化3(1806)年には水戸藩主徳川治紀に著書を献じ進講したと伝える。<参考文献>萩原進「『開荒須知』現代語訳・解題」(『日本農書全集』3巻)
(井上定幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報