…《日本書紀》には応神天皇から斉明天皇の条にかけて呉(くれ)の名がみえるが,そのさす内容は必ずしも一定しない。大部分は長江下流地域(南北朝時代でいえば南朝の地)をさすが,遣唐使の吉士長丹(きしのながに)がその功によって〈呉氏〉という姓を授けられたり,遣唐使の航路が〈呉唐(くれもろこし)の路〉と記されているのは,呉(くれ)の名で中国全体をさすこともあった証拠である。日本が中国を呉(くれ)と呼んだのは,たまたま日本が交渉した中国王朝がかつての呉(ご)の地を拠点とした王朝であったことによるものであろう。…
…10世紀,ベトナムが中国から自立しようとした時期の土豪政権。呉氏とも書く。930年クック(曲)氏が南漢に敗れ,ベトナムは再度中国の支配下に入るが,翌年クック氏の旧将ズオン・ディン・ゲ(楊廷芸)が決起して漢将を敗走させ自立を回復した。…
※「呉氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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