太田康連(読み)おおた やすつら

世界大百科事典(旧版)内の太田康連の言及

【太田氏】より

…中世の武家で諸流がある。(1)清和源氏多田流。源頼政の嫡流を継ぐ資国が丹波国太田郷に住して太田を名のったのに始まるという。資国は上杉重房に仕え,1252年(建長4)親王将軍宗尊の東下に重房とともに従う。のち上杉氏が分流すると扇谷家に従事してその家宰となった。太田道灌はその末葉という。(2)鎌倉・室町幕府の法曹官僚として活躍する武家。三善康信の子康連が,備後国大田荘桑原方地頭職を康信から与えられ,太田を称したのに始まるという。…

【御成敗式目】より

…1232年(貞永1)執権北条泰時のイニシアティブのもとに,太田康連,矢野倫重,斉藤浄円ら法曹系評定衆を起草者として制定された51ヵ条の鎌倉幕府法。貞永式目,関東式目とも呼ぶ。…

※「太田康連」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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