朝日日本歴史人物事典 「三善康連」の解説
三善康連
生年:建久4(1193)
鎌倉前期の幕府官僚。康信の子,康俊の弟。父の所領のうち備後国太田庄(広島県甲山町一帯)桑原方地頭職を相伝し,子孫は太田氏を称した。嘉禄1(1225)年に設置された評定衆に加えられ,貞永1(1232)年の御成敗式目起草に際して中心的な役割を果たすなど,文筆系官僚としての能力を買われて重用された。寛元4(1246)年,康信の嫡系として問注所執事職を相承してきた兄康俊の子町野康持が,名越光時の陰謀に加担して失脚すると,代わって康連が問注所執事職に任ぜられ,以後この職は太田氏に相承される。生年を建久3年とする説もある。<参考文献>竜粛『鎌倉時代』上
(新田一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報