日本歴史地名大系 「奈佐庄」の解説 奈佐庄なさのしよう 兵庫県:豊岡市奈佐庄古代の城崎(きのさき)郡奈佐(なさ)郷(和名抄)の一部が庄園化したものと考えられるが、弘安八年(一二八五)の但馬国太田文には所見しない。正応二年(一二八九)五月日付の僧快円・源有家連署父母遺領等配分状案(祇園社記続録)には、播磨国広峯(ひろみね)社(現姫路市)の檀那等を配分したなかに、但馬国「名佐」の檀那が含まれる。延文元年(一三五六)八月二七日には伊達真信が幕府方に属して、南朝方の一拠点である「奈佐之城」攻撃に参加している(延文元年一二月日「伊達真信軍忠状」伊達家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報