城崎(読み)きのさき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「城崎」の意味・わかりやすい解説

城崎
きのさき

兵庫県北部、城崎郡にあった旧町名(城崎町(ちょう))。現在は豊岡(とよおか)市の北部中央を占める一地区。旧城崎町は1895年(明治28)町制施行、1955年(昭和30)内川村を合併。2005年(平成17)豊岡市に合併。JR山陰本線が通じ、城崎温泉駅がある。旧町域の大部分は中国山地で、北流する円山川(まるやまがわ)沿いにわずかに平地がある。面積の40%以上が山陰海岸国立公園に指定されている。円山川の河口近くが地域の中心温泉街で、旅館100余軒をはじめ土産物(みやげもの)店、飲食店、遊技場などが多い。周辺の農村では二十世紀ナシやクリなど観光農業への移行がみられる。志賀直哉(しがなおや)など来遊した文人ゆかりの品が城崎文芸館に展示され、温泉の開祖道智上人(どうちしょうにん)開創の温泉寺には、本堂、木造十一面観音立像など国の重要文化財があり、仏像などは境内にある城崎美術館に展示されている。特産麦藁(むぎわら)細工は二百数十年続く民芸品である。

大槻 守]

『白井繁太郎著『きのさき温泉と温泉寺』(1955・温泉寺)』『神戸新聞但馬総局編『城崎物語』(1983・神戸新聞出版センター)』『『城崎町史』全2巻(1988~1990・城崎町)』


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百科事典マイペディア 「城崎」の意味・わかりやすい解説

城崎[町]【きのさき】

兵庫県北部,城崎郡の旧町。中心市街は円山(まるやま)川左岸の温泉町で,山陰本線が通じる。城崎温泉は717年道智上人の発見と伝え,古来但馬(たじま)ノ湯の名で有名。含塩化土類弱食塩泉。40〜75℃。内湯をもつ旅館がほとんどであるが,数ヵ所に古くからの共同浴場もある。志賀直哉の《城の崎にて》《暗夜行路》の舞台となった。2005年4月城崎郡竹野町,日高町,出石郡出石町,但東町と豊岡市へ編入。31.19km2。4300人(2003)。
→関連項目山陰海岸国立公園

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「城崎」の意味・わかりやすい解説

城崎
きのさき

兵庫県北部,豊岡市北部の旧町域。円山川下流域にある。 1895年町制。 1955年内川村と合体。 2005年豊岡市,竹野町,日高町,出石町,但東町の1市4町と合体して豊岡市となった。来日岳 (567m) を中心に山岳地帯が大部分を占める。支流の大谿川 (おおひろがわ) に沿う中心集落は養老1 (717) 年道智上人が発見したといわれる古い温泉町で,城崎温泉として知られる。志賀直哉の『城の崎にて』で描かれたことでも有名。冬のカニ売りが名物。国の天然記念物の玄武洞にも近く,一帯は山陰海岸国立公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「城崎」の意味・わかりやすい解説

城崎(旧町) (きのさき)

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世界大百科事典(旧版)内の城崎の言及

【但馬国】より

…その天日槍の子孫と伝え,また但馬国の国名とも関係する田道間守(たじまもり)が非時香菓(ときじくのかくのみ)を求めて常世国(とこよのくに)に渡るという説話も,同じ条件を背景とするものである。 律令制下では,朝来(あさこ),養父(やふ),出石(いつし),気多(けた),城崎(きのさき),美含(みくみ),二方(ふたかた),七美(しつみ)の8郡を管した。国府・国分寺・国分尼寺は,もっとも平地の多い気多郡(現在の城崎郡日高町)に置かれている。…

※「城崎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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