日本歴史地名大系 「富繁村」の解説 富繁村とみしげむら 鳥取県:西伯郡淀江町富繁村[現在地名]淀江町富繁中西尾(なかにしお)村の西、宇田(うだ)川中流域に位置する。古くは外構(とがまえ)村と称したが、安永二年(一七七三)富繁村と改称した。ただし「在方諸事控」同年二月一三日条には「留繁村」とあり、幕府へ提出する郷村帳類では従来どおりとしている。拝領高三二二石余、本免三ツ五歩。坂田氏および米子組士梶川氏の給地があった(給人所付帳)。竹運上銀三匁九分余が課されていた(藩史)。寛永一〇年(一六三三)の役屋数一一、うち寺・御蔵各一(「田畑地詰帳」宇田川村史)。宝永七年(一七一〇)の反別は田二一町九反余・畑一町四反余。家数一五・人数一一〇、牛一〇・馬四(同書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報