川谷貞六(読み)かわたに・ていろく

朝日日本歴史人物事典 「川谷貞六」の解説

川谷貞六

没年:明和6(1769)
生年:宝永3(1706)
江戸中期の暦学者。算学にも通ずる。土佐(高知県)の人。宝暦13年9月1日(1763.10.7)の日食を官暦は誤って記載しなかったが,当日は5分ほどの日食が観測され,暦職は多くの非難をあびた。貞六は前年10月,5.5分の食のあることを土佐藩主に上言していた。この推算的中や測量技術などを評価されて藩士に取り立てられた。天明2(1782)年刊随筆『文会雑記』(『日本随筆大成』に翻刻)に「土州にて暦学を始めてせしは,谷丹三郎。谷氏の門人に川谷貞六と云人あり。此人『南海暦談』『授時改旋暦書』等を著し,又『起元演段』と云算書を著す」とある。諱は致真,薊山と号し『薊山集』の著もある。

(内田正男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android