忌部鳥麻呂(読み)いんべのとりまろ

朝日日本歴史人物事典 「忌部鳥麻呂」の解説

忌部鳥麻呂

生年生没年不詳
8世紀中ごろの中級官僚。天平2(730)年の「安房国義倉帳」(『大日本古文書』1巻)に安房国(千葉県南部)の国司の目(上から4番目の職)で,位が大初位上の忌部宿禰登理万里と記される者と同一人であろう。7年7月に同族の虫名らと共に,中臣氏と祭祀権を争い,忌部を幣帛使とすることを許された。以後,伊勢奉幣使,神祇少副,典薬頭,信濃守,木工助,信部(中務)少輔歴任,この間,位も天平宝字8(764)年1月には従五位上に昇進した。しかし神護景雲1(767)年7月に本位に復帰のことが『続日本紀』にみえるので,藤原仲麻呂の乱(764)に連座して位を落とされたと推定される。

(岩本次郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「忌部鳥麻呂」の解説

忌部鳥麻呂 いんべの-とりまろ

?-? 奈良時代官吏
天平(てんぴょう)7年(735)中臣氏と祭祀権をあらそい,幣帛使となることをゆるされる。21年神祇少副(じんぎしよう)のとき伊勢神宮奉幣使となる。のち典薬頭(てんやくのかみ),木工助(もくのすけ)。天平宝字8年従五位上にすすむが,藤原仲麻呂の乱にかかわったとみられ,一時位をうばわれた。名は登理万里ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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