一般に役人,官員をさすが,狭義には明治憲法体制のもとで秩序づけられたそれの制度上の呼称である。その制度は明治憲法10条の天皇の官制大権と,19条の臣民就官能力の規定とに基づき,さまざまの天皇の勅令によって定められていた。つまり戦後の国家公務員法と異なり,明治憲法期には官吏制度全般を包摂した単一の法典はなく,任用,給与,服務,分限,懲戒などの各分野ごとに個別の法令が存在したのである。しかも官吏の国に対する勤務関係は私法上の雇傭契約関係とは異なり,公法上の倫理的隷属関係と理解されていた。したがって官吏はすべて天皇によって任命され,〈天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ忠順勤勉ヲ主トシ〉て勤務すべき義務を負う。まさに〈天皇の官吏〉にほかならなかった。かくて官吏は,天皇および国家から距離の近い存在としてイメージされる。さらに同じ官吏の中でも,天皇および国家との距離の遠近を示す官等の差に応じて食堂さえ異なるという厳格な区別の存在により,上下に対し微妙な優越感と劣等感との交錯が生じた。それは一方で官吏以外の人間に対する傲慢不遜な態度を生み,他方で各官等の中ではエリート意識の下に誇りをもって仕事に励む勤勉な態度を生んだ。
官吏制度整備過程で第1に注目すべきは,1876年官吏懲戒令という官吏に関する最初の体系的な法規の制定により,任用,給与,服務などに先立ってまず懲戒が制度化されたことである。第2に明治憲法制定前後に官吏の官等が制度化され,官吏のヒエラルヒーが確立したことである。つまり官吏を高等官と判任官とに分け,高等官をさらに勅任官と奏任官とに分け,勅任官の中に親任官が設けられ,親任官を除く高等官全体を9等に分かつ制度であった。第3に1893年文官任用令の制定により,奏任官は文官高等試験(高文)の合格者から任用される原則が確立され,官吏のリクルートの制度化がなされた。第4に1899年第2次山県有朋内閣における文官任用令改正により,勅任官の自由任用は廃止され親任官以外の勅任官は原則として一定の有資格者に限定され,同時に文官分限令制定により文官の身分保障制が確立された。翌年官吏制度に関する勅令はすべて枢密院の諮詢を要するよう改められた。以上は,官吏の行政技術的専門制の確立と政党化阻止を意味しており,ここに戦前日本の官吏制度は確立したといえる。
その後は,文官任用令の自由任用の拡大・縮小をめぐる政党と官吏との間の政治的攻防が展開し,1920年(大正9)の自由任用の拡大と大正末以後の文官分限令の弾力的運用に基づく大量の官吏の休職処分とにより,政党優位に帰着する。しかし五・一五事件(1932)による政党内閣の崩壊後,新官僚・革新官僚と呼ばれる官吏の台頭により,政策統合機関や中央人事機関の創設など官吏制度の抜本的改革が試みられたが,結局敗戦まで実現されなかった。
→官僚 →公務員
執筆者:御厨 貴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…政府や官吏を尊いものとし,一般人民や民間の事業を卑しいものとする考え。福沢諭吉の《福翁百話》のなかに,〈吾々学者流に於ては人権平等の論を論ずること久し。…
…官僚制ということばは多義的で,能率的な組織をさすこともあれば逆に組織の非能率をさすこともあり,また専門官吏による行政をさすこともあればこれら専門官吏が権力を掌握している状態をさすこともある。これは官僚制現象自体の動的な性格,構造によるもので,この点を理解すればその意味を整合的に説明することも困難ではない。…
…大日本帝国憲法下では,官吏,公吏などの言葉が使われていたが,国民主権の日本国憲法下では,国民の公僕という意味をこめて公務員という言葉が主として使われるようになった。 実定法上,最も広い意味では,国または地方公共団体の公務に従事するすべての者をさす。…
※「官吏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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