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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1042年デーン王朝の断絶とともに帰国,即位した。ウェストミンスター・アベーを建立するなど敬虔で〈懺悔王〉の異名もあったが,政治的能力を欠き治世中しばしば混乱が生じた。嗣子がいなかったので死後王位の争いがおこり,ノルマンディー公ウィリアムの侵入を招いた。…
※「懺悔王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...