朝日日本歴史人物事典 「月江宗澄」の解説
月江宗澄
生年:寛永16.2.8(1639.3.12)
江戸前期の臨済宗の尼で,霊鑑寺の開山。後水尾上皇の第12皇女。母は壬生院(園光子)。幼名は谷宮(多利宮)。承応3(1654)年5月霊鑑寺に開山として入室,得度した。霊鑑寺の前身は,後陽成天皇の典侍で妙法院門主尭然入道親王を生んだ持明院孝子が慶長17(1612)年に閑居した鹿ケ谷の屋敷。孝子は寺院化の望みを抱き正保2(1645)年に没したが,故人の遺志をくんだ後水尾上皇が勅許により娘を入室させて円成山霊鑑寺とした。月江は明暦年中(1655~58)に同腹の守澄法親王から近江国(滋賀県)坂本に御殿を進められ,また後水尾上皇の内勅により妙法院の世話を受けている。死没後,廬山寺に葬られた。諡号は浄法身院。<参考文献>『霊鑑寺伝記』,洞院満季選『本朝皇胤紹運録』
(岡佳子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報