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松花堂昭乗 しょうかどう しょうじょう

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美術人名辞典の解説

松花堂昭乗

江戸前期の書画家・石清水八幡宮社僧。摂津生。姓は喜多川、幼名は辰之助、通称は滝本坊、別号に惺々翁・南山隠士等。滝本坊実乗に真言密教を学び、滝本坊住持となる。のち退隠し、松花堂という庵を営む。近衛信尹本阿弥光悦と共に寛永の三筆の一人。和歌・連歌・茶道にも通じ、また狩野山楽に画を学んで独特の清逸な水墨画を能くした。寛永16年(1639)歿、56才。

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デジタル大辞泉の解説

しょうかどう‐しょうじょう〔シヨウクワダウセウジヨウ〕【松花堂昭乗】

[1584~1639]江戸初期の僧・書画家。和泉国堺の人。号、惺々翁・空識。松花堂は晩年の号。男山石清水八幡宮滝本坊の住職。真言密教を修め、阿闍梨(あじゃり)法印となる。書は寛永の三筆の一人で、御家流大師流を学び、松花堂流を創始。また、枯淡な趣の水墨画を多く描いた。

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百科事典マイペディアの解説

松花堂昭乗【しょうかどうしょうじょう】

江戸初期の書家,画家。号は惺々翁。男山八幡滝本坊の僧となり,密教の教義に通じる一方,禅僧,茶人,公家らと親しく交際し,書画に才能を発揮。晩年滝本坊を弟子に譲り,松花堂に隠棲(いんせい)した。
→関連項目狩野山楽

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松花堂昭乗 しょうかどう-しょうじょう

1584-1639 江戸時代前期の僧,書家。
天正(てんしょう)12年生まれ。京都石清水(いわしみず)八幡宮滝本坊の住職。書は松花堂流,滝本流とよばれる。本阿弥光悦,近衛信尹(このえ-のぶただ)とならんで寛永三筆のひとり。画,茶もよくし,水墨画に「葡萄(ぶどう)に鶏図」がある。寛永16年9月18日死去。56歳。堺(大阪府)出身。俗名は中沼式部。別号に惺々翁。

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朝日日本歴史人物事典の解説

松花堂昭乗

没年:寛永16.9.18(1639.10.14)
生年:天正12(1584)
桃山・江戸初期の学僧,書画家。中沼左京亮元知の弟として摂津国堺(大阪府)に生まれる。俗名は中沼式部,号は 惺々翁,空識,晩年に松花堂と号した。17歳で男山石清水八幡宮に上り出家,滝本坊実乗に仕え,真言密教をおさめて阿闍梨法印の位についた。実乗没後,寛永4(1627)年44歳のとき,滝本坊住職となった。書は尊朝法親王青蓮院流を学び,また空海の書を慕って大師流を修得して,自らの書風を確立した。漢字は空海の唐風,かなは平安時代の和風を復興したもので松花堂流または滝本流という。松花堂流はのちに流行し,昭乗の書跡は多数刊行された。本阿弥光悦,近衛信尹と共に寛永の三筆といわれている。画は狩野山楽に学んだといわれ,さらに土佐派を折衷して,彩色の密画もよくしたが,晩年には枯淡な水墨画を多く描き,歌絵屏風や道釈画などを遺した。作例に「葡萄に鶏図」(松阪・長谷川家蔵)など。また茶人としても有名で,小堀遠州について遠州流を修め,その収集した茶道具は「八幡名物」と呼ばれ,後世「松花堂好み」として模された。昭乗の名声は高く,近衛家の恩顧を受けて広く公家に出入し,また烏丸光広,林羅山,石川丈山などと交流があった。そのひとり佐川田昌俊が『松花堂昭乗上人行状記』(1639)を書いている。56歳で没し,山城の円福寺別寺に葬られた。<参考文献>春名好重『寛永の三筆』,土居次義「画人としての松花堂」(『淡交』48号),大和文華館『松花堂昭乗展/図録』

(河野元昭)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

しょうかどうしょうじょう【松花堂昭乗】

1584‐1639(天正12‐寛永16)
江戸初期の文人,書家,画人。山城男山八幡宮(石清水八幡宮)滝本坊の真言僧で,俗姓中沼,名は式部といった。20歳で得度し真言密教を修め,阿闍梨(あじやり)法印に至ったが,晩年は滝本坊を弟子に譲り,男山の南に松花堂を営んで小堀遠州,石川丈山,狩野探幽らと交わり,文墨,茶に親しんだ。書は近衛竜山御家流(おいえりゆう)を学び,やがて大師流の書法などをあわせ,瀟洒(しようしや)な書風を完成して本阿弥光悦,近衛信尹とともに〈寛永の三筆〉あるいは〈洛陽の三筆〉とうたわれた。

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大辞林 第三版の解説

しょうかどうしょうじょう【松花堂昭乗】

1584~1639) 江戸初期の書画家。姓は中沼。号は滝本・惺々翁・空識。和泉の人。男山八幡の僧。滝本坊の住持となったが、のち方丈を構え、松花堂と称した。書をよくし、洒脱な水墨画・大和絵を多く描く。収集の茶道具は「八幡蔵帳」に詳しい。松花堂流の祖。寛永の三筆の一人。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松花堂昭乗
しょうかどうしょうじょう

[生]天正12(1584).和泉
[没]寛永16(1639).9.18. 山城,伏見
江戸時代初期の学僧,書家,画家,文人,茶人。名は式部。摂津の喜多川氏の出であるというが詳細は不明。慶長5 (1600) 年,山城国石清水八幡宮の滝本坊実乗のもとで社僧となり,昭乗と称して仏法を修めた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松花堂昭乗
しょうかどうしょうじょう
(1584―1639)

江戸初期の僧。書画をよくした。堺(さかい)の人で、幼名を辰之助(たつのすけ)、のち式部と改める。17歳で男山石清水八幡宮滝本坊(おとこやまいわしみずはちまんぐうたきもとぼう)の社僧となり、実乗(じつじょう)、実弁(じつべん)に師事して真言密教を修め、阿闍梨(あじゃり)となる。のち滝本坊住職となり、法名を昭乗、惺々翁(せいせいおう)、空識(くうしき)と号した。晩年は住坊の南に松花堂を構え、自らの号として、風雅三昧(ざんまい)の隠居生活を送った。和歌、連歌(れんが)に長じ、茶道をたしなむ文化人として聞こえたが、書画骨董(こっとう)の鑑識にも優れ、蒐集(しゅうしゅう)した茶器は「八幡(はちまん)名物」として知られている。また大師(だいし)流の書をよくし、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、近衛信尹(このえのぶただ)とともに「寛永(かんえい)の三筆」の一人に数えられ、その書流は「滝本流」の名で江戸期を通じて長く流行した。画(え)は狩野山楽(かのうさんらく)に学んだといわれ、彩色画もよくしたが、晩年には洒脱(しゃだつ)な水墨画を多く描いた。[神崎充晴]

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世界大百科事典内の松花堂昭乗の言及

【三筆】より

…ほかには江戸時代に日本へ渡った黄檗(おうばく)宗の3僧,隠元,木庵(もくあん)(1611‐84),即非(そくひ)(1616‐71。諱は如一(によいち),木庵の法弟)を〈黄檗の三筆〉,また近衛信尹(のぶただ)(号は三藐院(さんみやくいん)),本阿弥光悦松花堂昭乗を〈寛永の三筆〉と呼ぶが,この呼名もおそらく明治以降であろうといわれ,1730年代(享保年間)には寛永三筆を〈京都三筆〉と呼んでいる。また巻菱湖(まきりようこ),市河米庵貫名海屋(ぬきなかいおく)(菘翁(すうおう))の3人を〈幕末の三筆〉という。…

【書】より

…伏見宮尊朝法親王は青蓮院流でもとくに尊朝流と呼ぶ名筆で知られる。公卿では青蓮院流から近衛流を創始した近衛前久(さきひさ)があり,とくにその子近衛信尹(のぶただ)は強い筆線で大字の仮名に異色の書風を現出し,三藐院(さんみやくいん)流と称され,江戸初期の本阿弥光悦,松花堂昭乗とともに〈寛永の三筆〉と呼ばれる。その大字屛風は当時盛行した障壁画に伍して和様の書を迫力ある作品にしあげている。…

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