朝日日本歴史人物事典 「本山只一郎」の解説
本山只一郎
生年:文政9(1826)
土佐藩(高知県)藩士,地方官,宮司。諱は茂任。文武に優れ,嘉永6(1853)年,藩主山内豊信の側小姓,安政年間,郡奉行に任じ,外圧高揚の折から,海防のための練兵や砲台構築に尽力。文久1(1861)年,藩主豊範の御側物頭役。同2年,参政吉田東洋暗殺事件を契機に藩情は一変。藩主豊範を擁して上京し,天皇から土佐藩主に国事周旋の勅諚あり,御側物頭の役職柄,別勅使三条実美らの江戸下向に斡旋尽力して功績があった。慶応2(1866)年大目付,同4年1月鳥羽・伏見の戦を機に土佐藩軍への錦旗伝達者となった。新政府に仕えたが明治8(1875)年退官,以後春日社,賀茂社などの宮司を勤めた。
(福地惇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報