桜田左交(読み)さくらだ さこう

世界大百科事典(旧版)内の桜田左交の言及

【桜田治助】より

…2世門下となり松島半次,てうふを経て33年(天保4)に治助となる。38年4世中村歌右衛門と提携し中村座での地位を確立,62年(文久2)に名跡を園治に譲ったのちも桜田左交の名で立作者を勤めた。一方,56年(安政3)からは狂言堂,狂言堂左交の名で森田座(のち守田座,新富座)の立作者も兼ね,市村座の河竹黙阿弥,中村座で同座した3世瀬川如皐と明治の初めまで三座体制を維持した。…

※「桜田左交」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む