椎谷村(読み)しゆうがいむら

日本歴史地名大系 「椎谷村」の解説

椎谷村
しゆうがいむら

[現在地名]市貝町椎谷

文谷ふみや村の西に位置し、北部は上椎谷、南部は下椎谷と称した。南東市塙いちはな村、西は稲毛田いなげた(現芳賀町)。史料上は椎貝村ともみえ、慶安郷帳では田一〇〇石余・畑五七石で大田原藩領。以後近世を通じて変わらない。元禄郷帳では椎貝村として高一五七石余、同村枝郷の上椎貝村として高六一石余とある。改革組合村では家数九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む