日本歴史地名大系 「芳賀郡」の解説 芳賀郡はがぐん 面積:四五三・三一平方キロ茂木(もてぎ)町・益子(ましこ)町・市貝(いちかい)町・芳賀(はが)町・二宮(にのみや)町県南東部に位置する。郡の東部は茂木町が占め、その西に市貝町・芳賀町・益子町があり、真岡(もおか)市を挟んで郡南西部に二宮町がある。近世の芳賀郡は現真岡市全域と宇都宮市東部を含み、およそ鬼怒川東岸より、茨城県境を南北に延びる八溝(やみぞ)山地の西側にわたる一帯を郡域とした。この山地の南部鶏足(けいそく)山塊の西方一帯は益子県立自然公園で、茂木町北部の那珂川水系は那珂川県立自然公園に含まれる。益子町・茂木町を流れる逆(さか)川は那珂川に注ぎ、鬼怒川とほぼ並行して南流する小貝(こかい)川・五行(ごぎよう)川は茨城県下館(しもだて)市で合流し、やがて利根(とね)川に注ぐ。真岡市を中心として芳賀町南部から二宮町に広がる平野部は関東平野の北部を形成する。郡の北部は那須郡烏山(からすやま)町・同南那須町・塩谷郡高根沢(たかねざわ)町、西部は宇都宮市・河内(かわち)郡上三川(かみのかわ)町・同南河内町・小山(おやま)市、南部は茨城県下館市・同真壁(まかべ)郡協和(きようわ)町・同西茨城郡岩瀬(いわせ)町、東部は同笠間(かさま)市・同西茨城郡七会(ななかい)村・同東茨城郡御前山(ごぜんやま)村・同那珂郡緒川(おがわ)村と接する。下館市と真岡市を結ぶ真岡鉄道は益子・市貝両町を経て茂木町まで延び、下館より烏山方面に通じる国道二九四号、宇都宮より御前山を経て水戸市に通じる国道一二三号が通る。〔原始〕先土器時代の遺跡は磯山(いそやま)遺跡など真岡市域から多く発見されている。縄文時代では早・前期の天矢場(てんやば)遺跡(茂木町)、中期の添野(そえの)遺跡(市貝町)・弁天池(べんてんいけ)遺跡(芳賀町)・金井台(かないだい)遺跡(同上)、後・晩期の坪の内(つぼのうち)遺跡(芳賀町)が知られる。弥生時代のものとしては真岡市の井頭(いがしら)遺跡のほか、東秋場(ひがしあきば)遺跡(芳賀町)・車堂(くるまどう)遺跡(益子町)などがある。古墳時代前期の前方後方墳として、五行川流域に浅間山(せんげんやま)古墳(芳賀町)・亀の子塚(かめのこづか)古墳(同上)、小貝川流域に上根二子塚(かみねふたごづか)古墳群の一・三号墳(市貝町)、星の宮浅間塚(ほしのみやせんげんづか)古墳(益子町)、山崎(やまさき)一号墳(真岡市)が相前後して築造されるが、その後これらの付近には目立った古墳はみられない。中期型の前方後円墳瓢箪塚(ひようたんづか)古墳(真岡市)は郡内最大の規模をもつ。後期古墳には天神山(てんじんやま)古墳(二宮町)・小宅(おやけ)古墳群(益子町)・鶏塚(にわとりづか)古墳(真岡市)がある。このほか益子町には天王塚(てんのうづか)古墳・向北原(むこうきたはら)古墳群などがあり、とくに前者からは獣形鏡・青銅鈴・鈴杏葉・環頭大刀・衝角付冑など優れた副葬品が出土している。向北原遺跡は稲荷山(いなりやま)遺跡(真岡市)などともに、弥生時代の墓制の系譜をひく方形周溝墓群が確認され、注目されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by