朝日日本歴史人物事典 「武田三益」の解説
武田三益
生年:享保20.12.4(1736.1.16)
江戸中期の儒学者。幼名藤太郎,名は士友。三益は号,別号立斎。父三秀は伊藤東涯に古義学を学び,はじめ町医者,のち秋田藩十二所城代茂木氏の儒医。三益は十二所(秋田県大館市)で照井氏に漢方を学び,古義堂に遊学し伊藤介亭(東涯の弟)に師事。一説によれば,近松顕忠,奥田士亨,高屋徳彰と共に古義堂四傑と称せられたという。帰郷して茂木氏の儒医となり,はじめて十二所で経学史書を講じた。子三省 も古義堂に学び伊藤東所に師事。これを武田三代といい,古義学の秋田地域普及に貢献した。現存する著作に『題正綱録序』『泰衡八幡宮記稿』など。<参考文献>山片旭嶺『秋田人物伝』
(三宅正彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報