日本大百科全書(ニッポニカ) 「タケ」の意味・わかりやすい解説
タケ
たけ / 竹
bamboo
イネ科(APG分類:イネ科)Gramineaeのタケ亜科Bambusoideaeに属する植物の総称。茎は地上茎(一般に中空であるため、稈(かん)とよぶ)と地下茎からなり、ともに細胞壁が木質化して堅く、よく分枝する(中南米の熱帯には、草質で分枝しないものもある)。イネ科はタケ亜科のほか、イチゴツナギ亜科Pooideae、キビ亜科Panicoideaeなど12の亜科からなるが、タケ亜科の栄養器官(茎、葉など)の特異性を重視し、タケ科Bambusaceaeとして独立させる説もあった。
[鈴木貞雄]
分類
タケ亜科は大きく二つに分けられ、竹の皮(稈鞘(かんしょう)とよぶ)がタケノコの成長に伴い下部のものから順次落ちるものをタケ、稈の成長後も落ちないものをササとする。しかしこれは分類学上の分け方ではなく、便宜上のものにすぎず、分類学的には属を規準とする。タケ類には、地下茎が短く、稈が多数株立ちになるものと、地下茎が長く、稈がまばらに立つものとがある。前者にはホウライチクやダイサンチクなど、後者にはマダケ、モウソウチク、ナリヒラダケ、トウチク、シホウチク、オカメザサ、インヨウチクなどがある。ササ類にはクマザサ、チマキザサ、ミヤコザサ、アズマザサ、スズタケ、ヤダケ、メダケ、ネザサ、カンチクなどがある。これらタケ亜科の植物を一括してタケ・ササ類とよぶこともある。
[鈴木貞雄]
分布
世界に116属1400種が知られ、熱帯地方のとくに雨の多い地帯に豊富で、モンスーン地帯にある東南アジアやインド、中国南部、中央アメリカ、南アメリカに種類が多い。北限は、アメリカ大陸では北アメリカの北緯約40度、東アジアでは比較的北方に伸び、樺太(からふと)(サハリン)の北緯50度をわずか越え、千島列島の北緯約45度(中千島)などである。
[鈴木貞雄]
タケ亜科の特徴
イネ科の植物は、生殖器官である花を例にとると、各亜科とも共通した類似点をもっている。しかも、イチゴツナギ亜科やキビ亜科では栄養器官も類似点が多い。したがって、この2亜科の場合、花の特徴を厳密に検討しないとそのいずれであるかを識別することはできない。しかし、タケ亜科の場合は、栄養器官だけで一見してそれとわかる特徴をもっている。以下に、葉の形態などの特徴点を示す。
タケ亜科では葉に稈鞘と普通葉の二つの型があり、そのような二型性はほかの亜科よりもはるかに著しい。すなわち、稈鞘と普通葉はもともと相同器官であり、稈鞘は若い稈を保護する方向へ分化し、そのため葉身は発達せず、小形の鱗片(りんぺん)状にとどまり、稈が成長すると稈鞘全体が枯れる。それに対して普通葉は、葉鞘が稈や枝の先端部だけを保護し、葉身が発達して栄養摂取の方向へ分化したものである。生存期間も稈鞘よりははるかに長い。そのため両者は一見たいへん異なるもののようにみえるが、構成部分はほとんどまったく同じである。
タケ亜科では葉身と葉鞘の間に関節があって離脱しやすいが、ほかの亜科では関節がなく、葉が枯れても葉身は落ちない。またごく特殊な例を除いて、葉は通常細長く、線形で、葉柄がないが、タケ亜科では葉身は幅広い披針(ひしん)形となり、その基部にははっきりした葉柄がある。さらに多くのものは葉鞘の上縁の葉柄の基部左右に肩毛(かたげ)があるが、ほかの亜科には肩毛がない。肩毛は耳状に突出した葉耳(ようじ)の縁に列生するものと、葉耳がなく、葉鞘から直接出るものとがある。葉耳も肩毛も脱落しやすく、通常半年くらいで落ちてなくなる。葉鞘と葉柄の境目に襟のような形の葉舌(ようぜつ)があることは、ほかの亜科とまったく共通な特徴である。
また、ほかの亜科では花序のほかは枝を出すことがまれであり、また枝の数もごく少ないが、タケ亜科では大部分のものは1節から1ないし数本の枝を出し、その数と形はおおむね属によって一定している。
タケノコ(地下茎につく芽が肥大して稈に成長する初期の状態)はその漢字「筍」が示すように、一旬(10日間)でタケになるというほど成長が速い。それは稈の頂端の成長点と各節のすぐ上の成長環(分裂組織)の両方の細胞分裂によるからで、成長の仕組みはほかの亜科でも同じであるが、タケ亜科では節の数がすこぶる多いので、速さがよく目だつわけである。太いマダケやモウソウチクでは1日に1.2メートルも伸びた記録がある。
[鈴木貞雄]
地下茎
特徴
地下茎は周囲に広がり、また人為的に株分けできるなど、繁殖器官として種子以上に重要な場合が多い。稈は一般に内部に広い空洞があるが、地下茎は肉が厚く、空洞が狭く細い。肉が厚いことは栄養分や水の貯蔵に役だつことになる。とくにマダケ属では空洞がなく、中実であることが多い。地下茎が立ち上がって稈になった場合は稈の下部は中実になりやすい。そのようなものを実竹(じっちく)といい、印材や杖(つえ)に利用される。
[鈴木貞雄]
分枝
地下茎は分枝して伸び、広がる。分枝には単軸分枝と仮軸分枝の二つの型がある。単軸分枝では主軸が伸長し、その先端の芽(頂芽(ちょうが))は越冬後ふたたび伸長を続け、毎年それを繰り返す。この例としてはマダケ属、メダケ属などがある。年次の継ぎ目の部分は10節ほどがまとまり、節間は著しく短縮する。これに対して仮軸分枝では主軸の先が1年で止まり、次の年にはその先端近くのわきに出る芽(側芽(そくが))が伸びて新しい地下茎になり、毎年それを繰り返す。この例としてはナリヒラダケ属、ササ属、アズマザサ属などがある。単軸分枝をするものでは地下茎の先端からもとの方へ節間の短縮部を、また仮軸分枝をするものでは地下茎の分枝点をたどることによって、それぞれの地下茎の年次を知ることができる。それらの地下茎はいずれも稈よりずっと細く、また節間も稈よりははるかに短い。そのため細型地下茎という。
単軸分枝をする地下茎でも、先端が立ち上がり、稈になることがある。この場合、稈基部の地下茎の側芽から新しい地下茎が出るのが普通である。つまりその場合は仮軸分枝となる。
一方、熱帯性のタケはほとんど全部仮軸分枝をする。それは、主軸があまり伸びず、先端が立ち上がって稈になる。地下茎の大部分と稈は上下に1本に連なり、地下茎のほうが稈よりも太い。そのようなものを肥厚型地下茎という。この例としてはホウライチク属などがある。
[鈴木貞雄]
側芽
新しい地下茎には各節ごとに1個ずつ側芽がつく。側芽のつく位置は、新しい地下茎が出るごとに左右および上下の方向を交互に繰り返す。すなわち、初め地下茎の左右の方向についていたとすると、その地下茎から出た新しい地下茎では上下の方向につき、これを次々と繰り返す。側芽は次の年に全部が稈または地下茎になるのではなく、ごく少数のものが伸長し、ほかのものは休眠芽となる。地下茎の寿命は長いものでも10年くらいまでで、側芽のうちには地下茎が枯死するまで休眠芽で終わるものがかなりある。
[鈴木貞雄]
稈
タケの地上部すなわち稈の立ち方は種類によって異なる。マダケ属では側芽から出た稈は1本立ちとなる。これに対し、メダケ属やササ属は、稈の基部の地中部の側芽が伸び、仮軸分枝によってただちに稈となり、このことを数回続け、そのため稈は互いに接近して立つようにみえる。また熱帯性のタケは、地下茎の側芽が初め水平に伸び、ただちに立ち上がって稈になり、これを次々と繰り返す。そのため稈は互いに接近して株立ちとなる。
稈は一般に中空で、節に水平の隔壁があるが、熱帯地方には中実のタケが少なくない。
[鈴木貞雄]
花
イネ科は小穂が基本単位であり、その柄、つまり小柄の先が小軸となり、この小軸の上に鱗片が左右2列に並ぶ。その鱗片は花穎(かえい)(護穎)と内花穎(内穎)の2個からなり、そのなかに1個の花が包まれるように入っている。花穎、内花穎および1個の花は一体となり、その三つをあわせて小花という。鱗被(りんぴ)は花弁の退化したもので、タケ亜科では大部分が3個で、ほかの亜科では2個のものが多い。タケ亜科では花序の枝、小花の基部、または花穎と内花穎の間などに関節がなく、そのため果実(穎果)は裸で脱落する。それに対してほかの亜科では花序や花部のどこかに関節があり、そのため果実の大部分のものは花穎と内花穎、または内花穎だけに包まれて脱落する。
[鈴木貞雄]
開花
タケはめったに開花しないが、開花するときは竹やぶや笹原(ささはら)の一部におこる場合と、全部におこる場合とがある。全面開花では期間が数年にわたり、そのあとはほとんど全部が枯れる。開花の周期については30年説、60年説、120年説があり、日本のタケは60年説または120年説が有力である。開花の原因には、植物自身のもつ周期性によるとするもの、植物成分中の炭素と窒素の割合によるとするもの、栄養の状態によるとするものなどの諸説がある。凶年に開花するというのは迷信である。ササの実は凶作のときなどには食用にされるが、その反面ノネズミが大発生して農作物に被害がおこることが多い。
[鈴木貞雄]
利用
用途
東洋諸国にはタケの種類と量が豊富で、材料が入手しやすいことと加工が容易なため、建築材、家庭用具、農具、漁具、楽器、玩具(がんぐ)、茶道具、華道具など、あらゆる方面に利用される。また日本人の手先の器用さにより、工芸品や装飾品に至るまで製作が盛んで、全国にはその指導所が少なくない。新年の門松や七夕(たなばた)の飾り、松竹梅の縁起物など、タケは日本人の生活に欠かせないものとなっている。そのほか漢方薬の原料、タケノコの食用、竹紙のパルプ材となり、エジソンの発明による電球のフィラメントの材料となった京都府石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)のタケは有名である。昔から、地震のときは竹やぶが安全であるといわれるが、近年、タケの土壌に対する緊縛力は植物界で最高であることが実験的に証明され、護岸や土止めのため傾斜地に植えられる。このほかタケは観賞用に適し、また目隠しや日よけなど、美観や実用にも役だち、いろいろな種類が植えられている。近代的な建物に大形のモウソウチクが利用されたりしているのはその好例である。小形のタケは盆栽にされたり、庭木や石の根締めにされる。
[鈴木貞雄]
種類と特性
それぞれの種類の特性を生かしたさまざまな用途があるが、日本で利用されるおもな種類とその特性は以下のとおりである。
マダケは質が緻密(ちみつ)で粘り気があるため、細く裂くのに適し、日本のタケ類ではもっとも利用度が高い。竹刀(しない)や弓の素材として最上級であり、尺八や版画のばれん(竹の皮)はマダケに限られ、また丸竹は竹梯子(ばしご)に重用される。
モウソウチクは肉が厚く柔らかく、機械にかけやすく、しゃもじや箸(はし)などの大量生産に適し、また何枚にもはいで格安な籠(かご)にされる。小枝は密に分かれ、強いので、竹箒(たけぼうき)や垣根に適し、海苔(のり)のそだにも利用される。
ハチクはとくに細割りがきき、茶筅(ちゃせん)や提灯(ちょうちん)の骨の材料とする。材が堅いので机や椅子(いす)の脚にもされる。
クロチクは稈の黒みを生かし、丸竹のまま細工され、軸掛けや筆軸にされる。
ホテイチクは稈の奇形部の手持ちがよいので釣り竿(ざお)や杖にして愛用される。
オカメザサは節が高いので、籠に編むと水切りがよく、食器洗いの際に用いられる。また節の高さは菓子箸にして風雅である。
ヤダケは節が低く、節間が長く、まっすぐで強く、太さが適度なので、弓矢にされる。矢はヤダケに限られる。
チマキザサやクマザサは葉が大きく、毛がないので、食物を包んだり、仕切りにされたりする。
[鈴木貞雄]
語源
タケは、英語ではbamboo、ドイツ語ではBambus、フランス語ではbambouと書き、いずれもマレー語のbambuから転訛(てんか)したもので、これは、山火事などのとき、タケの稈の空洞が熱気のため破裂する音からきているといわれる。タケの語源については、一般に、タは高きの義、ケは木の古語、すなわち「高き木」の意味であるという説が採用されている。またタケノコの成長が速いことから「痛快茎延(いたくきは)え」が詰まってタケになったともいわれる。タケは万葉仮名で多気、多介、太計、陀気などと書き、現在一般に使われている竹は漢字であって、タケの葉の容姿から出た象形文字である。
[鈴木貞雄]
民俗
身近な素材として日常生活の各種用具に使われているタケは、民俗行事のなかでも無限に近いほど多く使用されている。とりわけ神祭りには欠かすことのできないもので、その代表的なものが7月7日の七夕祭に使われるアオダケである。これは盆に先だって庭先に立てられるもので、青々とした緑のタケを立てることにより、このころに訪れる精霊の依代(よりしろ)としたと考えられる。正月の14日あるいは15日に各地で行われる道祖神祭の小屋の骨組をはじめ、空高くそびえるのはタケの穂先であり、山地などではかわりに緑の木となることもある。門松も山国や寒冷地では樹木だが、暖地ではおもにタケが使われている。
新潟県糸魚川(いといがわ)市青海(おうみ)地区では、正月15日に「竹のからかい」という行事が行われる。これは道祖神祭の一環として行われ、2組に分かれた青年がタケを1本ずつ出し合って2本いっしょに引き合うという綱引きのようなもので、出したほうのタケが折れれば負けとする。この行事は年の初めにあたっての年占(としうら)の意味があったと思われる。また三重県神島(かみじま)では元日の早朝に、「ゲーター祭り」というのを行う。グミの枝で直径2メートルほどの輪をつくり、これを太陽に見立て、100余名の若者が浜辺で手に手にアオダケを持ってこの輪を空に向かって高く支え上げるという勇壮な行事である。もともとは旧暦の元旦(がんたん)に行われたもので、新春を迎え、力強い太陽の光を待ち望む願いを表していると考えられる。冬枯れの木では神を迎えるのに似合わず、冬でも緑を保つもの、すなわち雪の重みにも耐え、しかも春とともにそれを跳ね返して成長するタケの生命力が、神の来臨を仰ぐのにふさわしいものとされたのであろう。
[小林梅次]
文学
成長が速く生命力が強いため、霊力をもったものとして、松竹、松竹梅などと並称されて、古くから賞玩(しょうがん)された。松竹梅は「歳寒三友」という漢文学的発想から出たものといわれる。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)から逃げ帰るときに、湯津津間櫛(ゆつつまぐし)を引き闕(か)いて投げ付けたら笋(たけのこ)が生じたという話、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)(山幸(やまさち))が海神のもとに五百箇竹村(いおつたかむら)からとった竹でつくった籠(かご)に入って赴いたという話などが、『古事記』にみえる。竹を輪切りにして緒を通したものを「竹玉(たかたま)」といって神事に用い、『万葉集』に「竹玉を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ」(巻3)などと詠まれている。『万葉集』には竹取翁(たけとりのおきな)と仙女との神婚譚(たん)を伝える長歌(巻16)が収められ、平安時代の『竹取物語』へと展開していくが、かぐや姫物語と関連深い鶯姫(うぐいすひめ)の伝承も竹林と結び付いている。
一方、美的な対象として、「梅の花散らまく惜しみ我が園(その)の竹の林に鶯鳴くも」(巻5・阿氏奥島(あじのおきしま))、「我が宿のいささ群竹(むらたけ)吹く風の音のかそけきこの夕べかも」(巻19・大伴家持(おおとものやかもち))などと詠まれている。「世(よ)に経(ふ)れば言(こと)の葉(は)しげき呉竹(くれたけ)の憂き節(ふし)ごとに鶯ぞ鳴く」(雑下)のように、「竹」の縁語の「節(よ)」「節(ふし)」を掛けて詠むのが王朝和歌の類型的な詠み方である。清涼殿の東庭に植えられている「呉竹(くれたけ)」「河竹(かわたけ)」は和歌にしばしば詠まれている。季題は春の「筍(たけのこ)」「竹の秋」、夏の「竹植う」など。
[小町谷照彦]
『室井綽著『竹・笹の話』(1969・北隆館)』▽『鈴木貞雄著『日本タケ科植物総目録』(1978・学習研究社)』▽『上田弘一郎著『竹と日本人』(1979・日本放送出版協会)』▽『上田弘一郎著『竹と暮らし』(1983・小学館)』