デジタル大辞泉
「油煙斎貞柳」の意味・読み・例文・類語
ゆえんさい‐ていりゅう〔‐テイリウ〕【油煙斎貞柳】
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油煙斎貞柳
没年:享保19.8.15(1734.9.12)
生年:承応3(1654)
江戸時代の狂歌作者。永田氏。名は良因,のち言因。通称は善八,家号は鯛屋,号は由縁斎,信乗軒,精霊洞,霜露軒,珍菓亭,又生庵,鳩杖子,長生亭など。家は代々禁裡御用を勤めた菓子商。父は山城大掾貞因といい歌学を松永貞徳に,俳諧を安原貞室に学び,狂歌も好んだ。叔父は俳人花実庵貞富,弟は浄瑠璃作者として有名な紀海音である。貞柳も和歌や俳諧を好んだ。 寛文12(1672)年『後撰夷曲集』に8首入集,延宝7(1679)年『銀葉夷歌集』に23首入集して,狂歌に頭角を表す。豊蔵坊信海(玉雲翁)について信乗と名乗り,元禄1(1688)年信海が没すると,その弟子黒田月洞軒に師事し,雲洞と号す。同6年,師信海の狂詠を選した『八幡拾遺』の下書きを月洞軒に送ったが,月洞軒は「難波江の藻にうづもれて居はせいでよしなき歌のゑらびだてかな」「げに玉の雲の翁が狂歌をばかゞやく月の洞にとへかし」「玉のやうな月はむさしにあるものをたのまでくらき雲の洞かな」と3首の狂歌で叱責した。月洞軒との繋がりはこののちも続いているが,これに遠慮したのか,貞柳自身の歌集の出版も最晩年までみられない。享保9(1724)年出火に遭って高津の菩提庵に閑居したが,狂名は世に広まった。同19年,81歳で没し,下寺町光伝寺に葬られた。歌集としては『家づと』『続家づと』『置土産』『机の塵』などがある。文化6(1809)年には無心亭有耳が『貞柳翁狂歌全集類題』を刊行した。その狂歌は雅俗折衷で平明,とりわけ機知に富む。享保11年,南都古梅園松井和泉が家製の大型墨を叡覧に供したことを聞いて,「月ならで雲の上まですみ登るこれはいかなるゆえん成らん」と詠んだ。これが世上にもてはやされ,油煙斎と呼ばれ,狂歌中興の名をほしいままにした。芥河貞佐ら多数の優れた弟子を擁し,門流は全国に広がった。
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