朝日日本歴史人物事典 「浅野梅堂」の解説
浅野梅堂
生年:文化13.6.9(1816.7.3)
幕末明治の書画家。江戸に生まれる。名は長祚,字は胤卿。号は池香,蒋潭,晩年に梅堂と号した。播磨国(兵庫県)浅野氏の支族。幕府に仕え,浦賀奉行を経て,嘉永5(1852)年37歳のとき,京都町奉行となる。安政の御所造営に尽力。また懸案の鴨川改修工事を,一家一人男女を問わず徴集してなしとげた。のち江戸に帰り,明治維新後は仕官しなかった。画ははじめ栗本翠庵につき,のち椿椿山の門人となる。花卉を得意とし,作例に「果蔬図」(東京国立博物館蔵)などがある。主に明清の書画を多数収集していたが,その集蔵目録である『漱芳閣書画記』や画論『漱芳閣書画銘心録』の著がある。65歳で没し,東京谷中の安立院に葬られた。<参考文献>脇本十九郎「漱芳閣書画記とその著者浅野梅堂に就いて」(『美術研究』35号)
(河野元昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報