浅野長祚(読み)あさの ながよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野長祚」の解説

浅野長祚 あさの-ながよし

1816-1880 江戸時代後期の武士
文化13年6月9日生まれ。幕臣嘉永(かえい)5年京都町奉行となり,京都と周辺の諸陵を調査して「歴代廟陵考」をあらわす。書を杉浦西涯(せいがい)に,画を椿椿山(つばき-ちんざん)らにまなぶ。詩文をこのみ,書画の鑑識に通じた。明治13年2月17日死去。65歳。江戸出身。字(あざな)は胤卿。通称は金之丞。号は梅堂,漱芳閣(そうほうかく)。著作はほかに「漱芳閣書画銘心録」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の浅野長祚の言及

【甲府勤番】より

… 勤番支配の業績として特記すべきものに徽典館(きてんかん)の設立がある。これは1796年(寛政8)大手勤番支配近藤政明が山手勤番支配永見為貞とはかって,勤番士とその子弟の教育のため幕府の許可を得て創立した甲府学問所がはじめで,1805年(文化2)大学頭林衡(たいら)によって徽典館と命名され,43年(天保14)に山手勤番支配酒井忠誨(ただみち)・大手勤番支配浅野長祚(ながとし)により学舎を大手門前に新築したものである。また大手勤番支配松平定能(さだまさ)が幕府の内命をうけて着手した《甲斐国志》123巻の編纂事業は,8年の歳月を費やして14年(文化11)に完成したが,甲斐国の地誌として著名である。…

※「浅野長祚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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