朝日日本歴史人物事典 「猿若勘三郎」の解説
猿若勘三郎
生年:生年不詳
江戸初期,歌舞伎の江戸中村座の創始者。初代中村勘三郎。屋号柏屋。武士中村右近の弟中村勘兵衛の次男という。通説によると京都で大蔵流の狂言を演じていたが,江戸に下り,寛永1(1624)年2月15日許可を得て江戸中橋(八重洲)に猿若勘三郎座(のちの中村座)の櫓を上げ,歌舞伎芝居の興行を始めた。これが江戸における歌舞伎劇場の始めという。同10年,江戸幕府の御用船安宅丸入港の折に木遣り音頭を唄い,幕府から金の麾と陣羽織を拝領した。座元と役者を兼ね,明暦3(1657)年には息子勘二郎と共に京都へ上り,禁裏で「猿若」と「新発意太鼓」を演じ,朝廷より勘二郎に明石の名を,またビロード地に丸に三つ柏紋の羽織を賜った。その後江戸に帰って没した。<参考文献>国立劇場芸能調査室編『東都劇場沿革誌史』(歌舞伎資料選書6巻),『芝居乗合話』(『日本庶民文化史料集成』6巻)
(加藤敦子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報