中村勘三郎(読み)ナカムラカンザブロウ

デジタル大辞泉 「中村勘三郎」の意味・読み・例文・類語

なかむら‐かんざぶろう〔‐カンザブラウ〕【中村勘三郎】

歌舞伎俳優。
(初世)[1598~1658]山城の人。屋号、柏屋。寛永元年(1624)江戸中橋に江戸で最初の歌舞伎劇場猿若座を創立、のち中村座と改称。以後代々俳優と座元を継承。猿若勘三郎
(17世)[1909~1988]東京の生まれ。3世中村歌六の三男。本名、波野聖司なみのせいじ。屋号、中村屋。初世中村吉右衛門の弟。義父6世尾上菊五郎の芸風を受け継ぎ、特に世話物に独自の芸境を示した。昭和55年(1980)文化勲章受章。
(18世)[1955~2012]東京の生まれ。17世の長男。本名、波野哲明のりあき。屋号、中村屋。5世中村勘九郎かんくろうとして初舞台を踏み、その後も幅広い役柄をこなし人気俳優として活躍。平成17年(2005)18世中村勘三郎を襲名。ニューヨークやベルリンなど海外での公演を成功させたほか、現代演劇やテレビドラマ・映画でも活躍した。

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精選版 日本国語大辞典 「中村勘三郎」の意味・読み・例文・類語

なかむら‐かんざぶろう【中村勘三郎】

  1. 歌舞伎俳優。
  2. [ 一 ] 初世。座元。猿若勘三郎ともいう。江戸で最も古い由緒ある中村(猿若)座の開祖。武士の子で、山城国(京都府)の出身という。はじめ京都で大蔵流の狂言を演じていたが、のち歌舞伎に転じて「猿若」芸をはじめ、寛永元年(一六二四)江戸で猿若座をおこした。慶長三~明暦四年(一五九八‐一六五八
  3. [ 二 ] 一七世。東京出身。三世中村歌六の三男。初世中村吉右衛門の弟。養父六世屋上菊五郎の芸風を受け継ぎ、特に世話物に独自の芸境を示した。文化勲章受章。明治四二~平成元年(一九〇九‐八九

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改訂新版 世界大百科事典 「中村勘三郎」の意味・わかりやすい解説

中村勘三郎 (なかむらかんざぶろう)

江戸中村座の座元,歌舞伎俳優。初世から3世までの経歴は,中村家の《家記》と称される書,享保10年(1725)書き上げの《江戸三芝居由緒書》など自己の家を語る粉飾の多い伝承によらざるをえず,検討を要するが,以下一応の通説を記す。(1)初世(1597?-1658・慶長2?-万治1) 中村座の創始者。山城国生れといわれる。初め猿若勘三郎と名のり,1624年(寛永1)江戸中橋に猿若座を創立,これが江戸歌舞伎劇場の起こりという。32年,幕府の御用船安宅(あたけ)丸の入津の際,金の麾(ざい)を頂き船先に立って木遣りの音頭をとった。このとき劇場は禰宜町にあったという。その後51年(慶安4)堺町に移転し,以後,1841年(天保12)まで堺町で興行を続ける。1657年(明暦3)の大火により類焼。5月に京へのぼり禁裏で《猿若》と《新発意太鼓(しんぼちたいこ)》を上演したという。こうした権力者とのかかわりを強調するのが,初世の経歴の特色である。中村家内部の書以外によれば,1651年江戸城に参入して歌舞伎を演じた記録が,初世に関する記述のもっとも早いものである。(2)2世(1647-74・正保4-延宝2) 1657年禁裏で《新発意太鼓》を演じ,中村明石の名をたまわったという。この伝承も示す通り,2世は若衆方を兼ね,特に拍子事が得意であった。寛文(1661-73)・延宝(1673-81)ごろには鶴屋勘三郎とも記されているが,これは彼の紋が舞鶴であることと無関係ではあるまい。中村座の定紋として知られる銀杏の紋は,延宝ごろから使用され始めている。(3)3世(1649-78・慶安2-延宝6) 1674年(延宝2)から5年間,座元を勤めた。(4)4世(1662-1713・寛文2-正徳3) 3世早世後,1678年(延宝6)に勘三郎を襲名,7年間座元を勤めたが,84年(貞享1)中村伝九郎(初世)と改名,役者専門となり,元禄期(1688-1704)を代表する立役となった。(5)5世(1666-1701・寛文6-元禄14) 1684年(貞享1)に勘三郎を襲名し,18年間座元を勤め,元禄歌舞伎の最盛の時代を築きあげた一人である。(6)6世(1688-1757・元禄1-宝暦7) 1701年から50年間座元を勤め,50年(寛延3)8月隠居して2世中村勘九郎と改めた。(7)7世(1717-75・享保2-安永4) 1750年(寛延3)から26年間座元を勤める。(8)8世(1719-77・享保4-安永6) 2世中村伝九郎が1775年勘三郎を相続,座元を3年間勤めた。(9)9世(1765-85・明和2-天明5) 1778年(安永7)から8年間座元を勤める。(10)10世(?-1810(文化7)) 1786年(天明6)に座元となったが,経営不振のため1年で座元を譲った。(11)11世(1766-1829・明和3-文政12) 1787年(天明7)3世中村伝九郎が勘三郎を襲名し,座元を相続,41年間勤めたが,その間不当りと火災により93年(寛政5)から97年まで休座し,都座に櫓を譲った。(12)12世(1800-51・寛政12-嘉永4) 1829年(文政12)5世伝九郎が勘三郎を襲名し,座元をついだが,天保改革により42年(天保13)には堺町より猿若町1丁目へ移転した。その後51年まで座元を勤める。(13)13世(1828-95・文政11-明治28) 1851年(嘉永4)座元を相続したが,幕末から経営不振が続き,75年には3世中村仲蔵に座元を譲った。ここに,江戸歌舞伎中もっとも古い歴史をもち,血縁にのみ名跡を継承させ,座元の地位を保った中村勘三郎の名跡は断絶した。(14)17世(1909-88・明治42-昭和63) 3世中村歌六の三男として生まれ,初世中村吉右衛門と3世中村時蔵を兄としてもつ。前名3世中村米吉,4世中村もしほ。1950年勘三郎を襲名。屋号中村屋。兄吉右衛門と義父6世尾上菊五郎の芸風を受けつぎ,幅広い役柄と技巧的な表現力とをもっていた。(15)18世(1955-2012・昭和30-平成24) 17世勘三郎の長男として生まれ,前名5世中村勘九郎。2005年勘三郎を襲名。なお,14世から16世までの3代は中村勘三郎を名のらなかったが,3世中村仲蔵(14世),5世中村明石(15世),5世明石の子勝子(16世)を代数に数えている。
中村座
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村勘三郎」の意味・わかりやすい解説

中村勘三郎
なかむらかんざぶろう

江戸の歌舞伎(かぶき)劇場中村座の座元、歌舞伎俳優。

初世

(1598―1658)京都の出身で、初め能の狂言師だったが、歌舞伎に転じて猿若(さるわか)(初期歌舞伎における道化役)の役を得意にし、猿若勘三郎と名のったと伝える。江戸に下り、1624年(寛永1)2月、中橋南地(なかはしなんち)に櫓(やぐら)をあげ、これを猿若座(のちに中村座となる)と称した(中村座はのちに弥宜(ねぎ)町、堺(さかい)町、猿若町一丁目へ移転した)。これが、江戸における歌舞伎劇場の最初である。いわゆる江戸三座(中村座・市村座・森田座)のなかでもっとも創設が古く、由緒のある劇場とされて続いたため、その始祖である初世勘三郎は英雄視され、数々の伝説を残した。1632年(寛永9)幕府の御用船安宅丸(あたけまる)が江戸港に入った際、金(きん)の麾(ざい)を拝領して、船先に立ち木遣(きやり)の音頭をとって賞されたという伝説はその一つである。

服部幸雄

2世

(1647―1674)初世の子。1657年(明暦3)父とともに上京し、禁裏で『新発意太鼓(しんぼちたいこ)』を演じて、帝(みかど)から「明石(あかし)」の名を賜ったと伝える。若衆(わかしゅ)方で、所作事(しょさごと)を得意にした。

[服部幸雄]

3世~16世

3世以後13世までの各代は、いずれも中村座の座元を勤めた。そのうち、4世(後の初世中村伝九郎(でんくろう))、8世(2世伝九郎)、11世(3世伝九郎)、12世(5世伝九郎)は俳優を兼ねた(「中村伝九郎」の項参照)。幕末からの経営不振と多額の借財に苦しんだ13世勘三郎(1828―1895)が、1875年(明治8)に妹婿の3世中村仲蔵(なかぞう)に座元を譲ったため、江戸歌舞伎最古の由緒を誇った中村座座元中村勘三郎の名義は断絶した。14世(3世中村仲蔵)、15世(5世中村明石)、16世(5世明石の子勝子)は、いずれも中村勘三郎を名のったわけではないが、系譜上、それぞれの代に数えている。

[服部幸雄]

17世

(1909―1988)本名波野聖司(なみのせいじ)。屋号中村屋。3世中村歌六(かろく)の三男。初世中村吉右衛門(きちえもん)、3世中村時蔵の弟。一時「東宝劇団」に入る。1950年(昭和25)1月、4世中村もしほから17世勘三郎を襲名した。6世尾上(おのえ)菊五郎の芸風を慕い、幅広い役柄をこなし、その豊かな表現力には定評があり、とくに江戸風の世話物に他の追随を許さぬ独自の芸境をみせた。1970年日本芸術院会員、1975年重要無形文化財保持者、1980年に文化勲章を受章。

[服部幸雄]

18世

(1955―2012)本名波野哲明(のりあき)。屋号中村屋。17世の長男。2005年(平成17)3月、5世中村勘九郎から18世勘三郎を襲名した。テレビや現代劇などに幅広く活躍したほか、海外公演も精力的に行った。長男は2世中村勘太郎(1981― )、次男は2世中村七之助(しちのすけ)(1983― )である。

[服部幸雄]

『中村勘三郎著『自伝・やっぱり役者』(1976・文芸春秋)』『渡辺保著『中村勘三郎』(1989・講談社)』『関容子著『中村勘三郎楽屋ばなし』(文春文庫)』

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「中村勘三郎」の解説

中村 勘三郎(17代目)
ナカムラ カンザブロウ


職業
歌舞伎俳優

肩書
猿若勘三郎・猿若流(邦舞)宗家 日本芸術院会員〔昭和45年〕,重要無形文化財保持者(歌舞伎立役)〔昭和50年〕

本名
波野 聖司(ナミノ セイジ)

別名
初名=中村 米吉(3代目),前名=中村 もしほ(4代目)(ナカムラ モシホ)

屋号
中村屋

生年月日
明治42年 7月29日

出生地
東京市 浅草区猿若町(東京都 台東区)

経歴
3代目中村歌六の三男。大正5年3代目中村米吉で初舞台を踏み、昭和4年4代目中村もしほを襲名。10年東宝劇団に参加。15年松竹に復帰、関西歌舞伎で活動。18年吉右衛門劇団を結成。25年17代目中村勘三郎を襲名した。兄・吉右衛門と義父・6代目尾上菊五郎の芸風を受けついで幅広い役柄と技巧的な表現力を持ち、海外公演も多く、歌舞伎界を代表する俳優の一人として活躍。当たり役に「梅雨小袖昔八丈」の髪結新三、「夏祭浪花鑑」の団七、お辰、「仮名手本忠臣蔵」の早野勘平、「釣女」の醜女、「平家女護島」の俊寛僧都、「一本刀土俵入り」の茂兵衛、「うかれ坊主」の源八、「お祭り」の鳶頭など。毎日演劇賞を皮切りに数々の賞を受け、45年日本芸術院会員、46年文化功労者、50年人間国宝、55年文化勲章。61年には、70年間に演じた803役が世界最高としてギネスブック入りした。自伝「やっぱり役者」がある。

所属団体
日本俳優協会,日本舞踊協会

受賞
芸術選奨文部大臣賞(第5回 昭29年度)〔昭和30年〕,日本芸術院賞(第25回 昭43年度)〔昭和44年〕,文化功労者〔昭和46年〕 文化勲章〔昭和55年〕,勲一等瑞宝章〔昭和63年〕 毎日演劇賞〔昭和28年・29年・31年〕,名古屋ペンクラブ賞〔昭和30年〕,テアトロン賞〔昭和33年〕,大阪十三夜会賞〔昭和37年〕,イリノイ大学名誉博士号〔昭和62年〕

没年月日
昭和63年 4月16日 (1988年)

家族
長女=波乃 久里子(女優),長男=中村 勘三郎(18代目),父=中村 歌六(3代目),兄=中村 吉右衛門(初代),中村 時蔵(3代目)

親族
義父=尾上 菊五郎(6代目),甥=中村 歌昇(2代目),中村 時蔵(4代目),萬屋 錦之介(俳優),中村 嘉葎雄

伝記
大向うの人々―歌舞伎座三階人情ばなし十七世中村勘三郎―自伝やっぱり役者中村屋三代記―小日向の家おもちゃの三味線―白鸚・勘三郎・芥川比呂志中村勘三郎勘三郎の天気中村勘三郎楽屋ばなし 山川 静夫 著中村勘三郎中村 勘九郎,中村 小山三,中村 又五郎,波乃 久里子,福田 尚武 ほか著関 容子 著渡辺 保 著山川 静夫 著関 容子 著(発行元 講談社日本図書センター集英社文芸春秋講談社読売新聞社文芸春秋 ’09’99’98’89’89’88’87発行)

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20世紀日本人名事典 「中村勘三郎」の解説

中村 勘三郎(17代目)
ナカムラ カンザブロウ

大正・昭和期の歌舞伎俳優 猿若勘三郎・猿若流(邦舞)宗家。



生年
明治42(1909)年7月29日

没年
昭和63(1988)年4月16日

出生地
東京市浅草区猿若町(現・東京都台東区)

本名
波野 聖司

別名
初名=中村 米吉(3代目)(ナカムラ ヨネキチ),前名=中村 もしほ(4代目)(ナカムラ モシホ)

屋号
中村屋

主な受賞名〔年〕
毎日演劇賞〔昭和28年 29年 31年〕,芸術選奨文部大臣賞〔昭和30年〕,名古屋ペンクラブ賞〔昭和30年〕,テアトロン賞〔昭和33年〕,大阪十三夜会賞〔昭和37年〕,日本芸術院賞〔昭和44年〕,文化功労者〔昭和46年〕,文化勲章〔昭和55年〕,イリノイ大学名誉博士号〔昭和62年〕

経歴
父は3代目中村歌六。大正5年中村米吉で初舞台を踏み、昭和4年4代目中村もしほを襲名、25年17代目勘三郎を襲名した。兄吉右衛門と義父6代目尾上菊五郎の芸風を受けつぎ、幅広い役柄と技巧的な表現力をもっている。海外公演も多く、現歌舞伎界を代表する俳優の一人。代表的舞台は「法界坊」「髪結新三」「一本刀土俵入り」など。毎日演劇賞を皮切りに数々の賞を受け、45年日本芸術院会員、46年文化功労者、50年人間国宝、さらに55年文化勲章受章。61年には、70年間に演じた803役が世界最高としてギネスブック入りした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中村勘三郎」の意味・わかりやすい解説

中村勘三郎(18世)
なかむらかんざぶろう[じゅうはっせい]

[生]1955.5.30. 東京
[没]2012.12.5. 東京
歌舞伎俳優。本名波野哲明。江戸幕府公認の芝居小屋「江戸三座」の中で最も古い伝統をもち,今日まで連綿と続く由緒ある中村座座元の流れを受け継ぐ。17世中村勘三郎の長男。1959年,5世中村勘九郎を名のり初舞台。2005年,お家芸の『一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』の一條大蔵卿などで 18世勘三郎を襲名した。大正,昭和を代表する 6世尾上菊五郎を母方の祖父,父の実兄が 1世中村吉右衛門と,名優を身近に早くから才能を発揮,『京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)』(→娘道成寺)の白拍子花子,『梅雨小袖昔八丈』の新三(しんざ)などあたり役は多い。また若い頃からドラマ,バラエティー,コマーシャルなどテレビでも茶の間に人気を浸透させ,若者のファンを開拓,歌舞伎の隆盛につなげた。抜群のアイデア,企画力の持ち主でもあった。1990年から恒例化した歌舞伎座「納涼大歌舞伎」では中心的役割を担い,香川県琴平町にある日本最古の芝居小屋での「こんぴら歌舞伎」の復活・隆盛への貢献,東京の若者の街渋谷に「コクーン歌舞伎」,ゆかりの地の台東区浅草に平成中村座を開設,ニューヨーク公演も成功させた。

中村勘三郎(17世)
なかむらかんざぶろう[じゅうななせい]

[生]1909.7.25. 東京
[没]1988.4.16. 東京
歌舞伎俳優。本名波野吉晴。屋号中村屋。3世中村歌六の4男,1世中村吉右衛門,3世中村時蔵の弟。 1950年4世中村もしほ改め中絶していた名跡勘三郎を襲名。兄1世吉右衛門と岳父6世尾上菊五郎の芸風を合せ受継ぎ,時代物,世話物,新作いずれもよくした。青年期は女方として修行を積んだため女方にも長じ,また舞踊にもすぐれた。当り役は『髪結新三』の新三,『一条大蔵譚』の大蔵卿,『筆幸』の幸兵衛など。 53年毎日演劇賞,70年日本芸術院会員,71年文化功労者。 75年重要無形文化財保持者。 80年文化勲章受章。

中村勘三郎(4世)
なかむらかんざぶろう[よんせい]

[生]寛文2(1662)
[没]正徳3(1713)
歌舞伎俳優。江戸時代最初の官許の劇場猿若座 (→中村座 ) の座元。4世中村勘九郎の子。延宝6 (1678) 年3世勘三郎が没した際,座元名4世を襲名。のちに3世の実子に座元を譲り,1世中村伝九郎と改めた。『朝日奈』を創演した元禄期の名優。1世市川団十郎の荒事,1世中村七三郎の和事とともに名人三幅対と称され,奴荒事の祖とされる。

中村勘三郎(1世)
なかむらかんざぶろう[いっせい]

[生]慶長3(1598)
[没]明暦4(1658)
歌舞伎俳優。江戸時代最初の官許の劇場猿若座 (→中村座 ) の座元。出自については諸説あるが,猿若 (滑稽芸) の名手で,猿若勘三郎は異名,屋号柏屋。京都で修行,江戸の繁盛に伴って下向,元和8 (1622) 年に劇場創立を出願し寛永1 (24) 年2月 15日許可。明暦3 (57) 年正月江戸の大火により類焼したため,5月息子勘二郎を伴い上洛,内裏に参入して猿若を演じた。

中村勘三郎(2世)
なかむらかんざぶろう[にせい]

[生]正保4(1647)
[没]延宝2(1674).8.26.
歌舞伎俳優。江戸時代最初の官許の劇場猿若座 (→中村座 ) の座元。1世中村勘三郎の次男。父とともに内裏に参入して『新発意太鼓 (しんぽちたいこ) 』を演じ,「見るにあかじ」の心から明石の名を賜わった。

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百科事典マイペディア 「中村勘三郎」の意味・わかりやすい解説

中村勘三郎【なかむらかんざぶろう】

歌舞伎俳優。江戸歌舞伎の元祖といわれる初世に始まり,代々中村座の座元を務め,俳優を兼ねた者もある。明治以後中絶したのを17世が復活。初世〔1598-1658〕は別名猿若(さるわか)勘三郎。初め京都で大蔵流の狂言を学び猿若の芸を創始,のち江戸に下り,猿若座(中村座)を創設した。17世〔1909-1988〕は3世中村歌六(かろく)の三男。初世中村吉右衛門の弟。前名4世中村もしほから1950年襲名。芸域の広い俳優として活躍。屋号中村屋。1975年人間国宝。1980年文化勲章。18世〔1955-2012〕は17世の長男。5世中村勘九郎を経て,2005年襲名。17世譲りの芸域の広さに加え,野田秀樹,串田和美など現代の劇作家・演出家と組んで古典の新解釈や新作に取り組み大成を期待されたが,食道癌に倒れ,57歳で没した。長男は6世中村勘九郎,次男は2世中村七之助。
→関連項目中村屋

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村勘三郎」の解説

中村勘三郎(18代) なかむら-かんざぶろう

1955-2012 昭和後期-平成時代の歌舞伎役者。
昭和30年5月30日生まれ。17代中村勘三郎の長男。母は6代尾上菊五郎の娘。昭和34年5代中村勘九郎を名のって歌舞伎座で初舞台。幼時から天性の役者ぶりをみせ,父の没後はその持ち味を継承し,「鏡獅子」「髪結新三」などでたかい評価をえている。平成11年芸術院賞。16年菊池寛賞。17年18代中村勘三郎を襲名。平成24年12月5日死去。57歳。東京都出身。国学院大中退。本名は波野哲明(のりあき)。屋号は中村屋。

中村勘三郎(17代) なかむら-かんざぶろう

1909-1988 大正-昭和時代の歌舞伎役者。
明治42年7月29日生まれ。3代中村歌六の3男。初代中村吉右衛門,3代中村時蔵の弟。大正5年市村座で3代中村米吉を名のり初舞台。4代中村もしほをへて,昭和25年17代勘三郎を襲名。戦後の歌舞伎界の柱として活躍した。44年芸術院賞,45年芸術院会員,50年人間国宝,55年文化勲章。昭和63年4月16日死去。78歳。東京出身。本名は波野聖司(吉晴)。屋号は中村屋。

中村勘三郎(2代) なかむら-かんざぶろう

1647-1674 江戸時代前期の歌舞伎役者,座元。
正保(しょうほ)4年生まれ。初代中村勘三郎の次男。明暦3年父とともに京都へいき,御所で「新発意太鼓(しんぼちだいこ)」を演じて明石(あかし)の名をあたえられ,中村明石(初代)を名のった。万治元年2代勘三郎を襲名。若衆方で所作事を得意とした。延宝2年8月26日死去。28歳。幼名は勘二郎(一説に勘助)。別称に明石勘三郎。

中村勘三郎(6代) なかむら-かんざぶろう

1688-1758* 江戸時代中期の歌舞伎役者,座元。
元禄(げんろく)元年生まれ。4代中村勘三郎(初代中村伝九郎)の弟。5代勘三郎の養子となり,元禄14年6代を襲名。50年間中村座座元をつとめ,寛延3年引退,父の名をつぎ2代中村勘九郎を名のった。宝暦7年11月25日死去。70歳。江戸出身。前名は中村又三郎。俳名は冠子。

中村勘三郎(11代) なかむら-かんざぶろう

1766-1829 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者,座元。
明和3年生まれ。2代市川八百蔵の子。安永2年から舞台にたち6年3代中村伝九郎をついだ。のち8代勘三郎の長女の婿となり,天明7年11代を襲名。中村座座元をつぎ,休座の年をのぞき38年間座元をつとめた。文政12年8月4日死去。64歳。江戸出身。初名は中村伝蔵(2代)。俳名は観(冠)子。

中村勘三郎(9代) なかむら-かんざぶろう

1765-1785 江戸時代中期の歌舞伎役者,座元。
明和2年生まれ。2代中村七三郎の子(一説に孫)。明和6年初舞台をふみ,7年3代中村七三郎をつぐ。安永6年8代勘三郎(2代中村伝九郎)の養子となり,養父の死去で7年9代を襲名。8年間中村座座元をつとめた。天明5年7月29日死去。21歳。江戸出身。初名は中村七之助(初代)。俳名は雀童。

中村勘三郎(10代) なかむら-かんざぶろう

?-1810 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者,座元。
300両の持参金で8代中村勘三郎(2代中村伝九郎)の次女の入り婿となり,天明6年10代を襲名。中村座座元をついだが,客の不入りと火事のため1年で義兄の3代中村伝九郎(11代中村勘三郎)に座元をゆずった。文化7年5月3日死去。江戸出身。本姓は斎藤。幼名は熊吉。俳名は雀童。

中村勘三郎(5代) なかむら-かんざぶろう

1666-1701 江戸時代前期の歌舞伎役者,座元。
寛文6年生まれ。3代中村勘三郎の子。貞享(じょうきょう)元年4代勘三郎(初代中村伝九郎)が中村座座元をひいたあとをうけて5代を襲名し,元禄(げんろく)歌舞伎の最盛期に18年間座元をつとめた。元禄14年9月19日死去。36歳。江戸出身。幼名は竹松。俳名は冠子。

中村勘三郎(13代) なかむら-かんざぶろう

1828-1895 幕末-明治時代の歌舞伎役者,座元。
文政11年生まれ。12代中村勘三郎の子。嘉永(かえい)4年13代勘三郎を襲名し,中村座座元となる。幕末からつづく経営不振のため明治8年3代中村仲蔵(なかぞう)に座元をゆずって引退した。明治28年10月29日死去。68歳。江戸出身。初名は中村伝蔵(3代)。

中村勘三郎(12代) なかむら-かんざぶろう

1800-1851 江戸時代後期の歌舞伎役者,座元。
寛政12年生まれ。11代中村勘三郎の次男。中村座の若太夫として番付にのり,文化11年5代中村伝九郎をつぐ。文政13年座元となり,12代勘三郎を襲名した。嘉永(かえい)4年10月11日死去。52歳。江戸出身。初名は中村明石(4代)。俳名は舞鶴。

中村勘三郎(初代) なかむら-かんざぶろう

1597-1658 江戸時代前期の歌舞伎役者,座元。
慶長2年生まれ。中村勘兵衛の次男。江戸歌舞伎の祖。京都で能の狂言方となり,歌舞伎に転じて江戸へいく。寛永元年猿若座(のちの中村座)を創立し,猿若勘三郎と称した。明暦4年6月9日死去。62歳。山城(京都府)出身。屋号は柏屋。

中村勘三郎(7代) なかむら-かんざぶろう

1717-1775 江戸時代中期の歌舞伎役者,座元。
享保(きょうほう)2年生まれ。6代中村勘三郎の長男。寛延3年7代を襲名し,25年間中村座座元をつとめた。安永4年2月28日死去。59歳。江戸出身。初名は中村明石(3代)。俳名は雀童。屋号は柏屋。

中村勘三郎(3代) なかむら-かんざぶろう

1649-1678 江戸時代前期の歌舞伎役者,座元。
慶安2年生まれ。初代中村勘三郎の3男。兄の2代勘三郎が早世したため,延宝2年3代を襲名。猿若座を中村座とあらため座元をつとめた。延宝6年8月11日死去。30歳。前名は中村長三郎。

中村勘三郎(4代) なかむら-かんざぶろう

中村伝九郎(なかむら-でんくろう)(初代)

中村勘三郎(8代) なかむら-かんざぶろう

中村伝九郎(なかむら-でんくろう)(2代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「中村勘三郎」の解説

中村 勘三郎(17代目) (なかむら かんざぶろう)

生年月日:1909年7月25日
大正時代;昭和時代の歌舞伎役者
1988年没

中村 勘三郎(17代目) (なかむら かんざぶろう)

生年月日:1909年7月29日
昭和時代の歌舞伎俳優
1988年没

中村 勘三郎(18代目) (なかむら かんざぶろう)

生年月日:1955年5月30日
昭和時代;平成時代の歌舞伎俳優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中村勘三郎の言及

【劇場】より

…演劇あるいはこれに類する技芸を上演する建物で,大きく分けて演ずる場である舞台と,それを享受する観客席から成る。演劇の場としての劇場の空間構成には,屋外,室内の別を問わず,大別して二つの形態が認められる。すなわち主たる演技空間(舞台)を観客席が取り囲む形のものと,演技空間と観客席が相対するものとである。演劇は原初的には神事,祭事から発生したので,最初期の劇場は必然的に演技空間中心の前者に近い形態をとったと考えられる。…

【猿若】より

…歌舞伎の役柄または狂言の名。(1)お国歌舞伎時代に舞台に登場した道化役で,扮装は粗末な青系統の単衣に脚絆ばき,手拭ようの布で頰被りの下人風で現れ,〈魯鈍〉な性格を演じた。舞台の猿若は唐団扇を持ち,床几運びをすることもあり,そこには,猿若の芸能と風流踊との関連が示されていると思われる。猿若の演技としては,写実的物真似芸や雄弁術,獅子踊,木遣音頭などをみせた。また,民俗芸能や大道芸の中にも〈猿若〉と称する道化役がある。…

【中村伝九郎】より

…歌舞伎俳優。4世中村勘三郎の後名に始まり6世まである。初世が最も名高く,2世がこれに次ぐ。…

【蔦紅葉宇都谷峠】より

…早替りと殺し場が際立つため小芝居向きとして軽視されがちだったが,じつは義理と因果にあえぐ人物を活写した重厚な作。1969年当代最高とされた17世中村勘三郎の二役と8世松本幸四郎(のちの白鸚)の十兵衛による国立劇場の,初演以来の通し上演は,その点でも画期的であった。【河竹 登志夫】。…

【興行】より

… 江戸時代に入ると歌舞伎や人形浄瑠璃の興行は,江戸でも上方でも共通に幕府から興行権を与えられたもののみが行うことができるというきびしい仕組であった。江戸を例にすると宮地芝居を別として,歌舞伎では1714年(正徳4)9月以降幕末まで中村座の中村勘三郎,市村座の市村羽左衛門,森田座の森田勘弥の3人の座元に限って,歌舞伎を興行する権利が官許され,興行権の象徴である〈(やぐら)〉をあげることができた。この3座を〈江戸三座〉と呼んでいる。…

【座元(座本)】より

…江戸では,1624年(寛永1)に猿若(中村)勘三郎が幕府に願い出て,中橋での興行を許されたのが座元の始まりで,以後,都伝内,村山又三郎,山村小兵衛(長太夫),河原崎権之助,森田太郎兵衛,玉川新十郎がそれぞれ劇場を立てて座元となった。57年(明暦3)の江戸大火後,中村勘三郎,市村宇(羽)左衛門,森田勘弥,山村長太夫の4人に限り座元として興行することが許されたが,1714年(正徳4)の江島生島事件で山村長太夫が官許を取り消され,山村座は廃絶した。以来,中村座の中村勘三郎,市村座の市村羽左衛門,森田座の森田勘弥の3座の座元に限って幕府は興行権を与え,その世襲を制度として公認した。…

【六合新三郎(六郷新三郎)】より

…姓を〈六郷〉と改め,1770年(明和7)11月の森田座からその名が見える。97年(寛政9)中村座の座元,中村勘三郎家から猿若三左衛門(山左衛門か)の名を贈られ,中村座の頭取となる。(3)3世 2世の門弟と思われる。…

※「中村勘三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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