町野康持(読み)まちの・やすもち

朝日日本歴史人物事典 「町野康持」の解説

町野康持

没年:正嘉1(1257)
生年建永1(1206)
鎌倉中期に幕府問注所執事や評定衆などを務めた実務家。本姓三善。三善康信の孫,康俊の子。町野民部大夫,加賀民部大夫などと称した。暦仁1(1238)年評定衆に加えられ,また同年6月,父康俊が病で職を辞したあとを襲って問注所執事となり,寛元2(1244)年には備後守に任じられた。しかし同4年5月,名越光時と前将軍藤原頼経の陰謀に加担したとして,同6月,問注所執事と評定衆の任を解かれ,問注所執事の職は同族の太田氏に相承されることとなった。<参考文献>竜粛鎌倉時代』上

(新田一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「町野康持」の解説

町野康持 まちの-やすもち

三善康持(みよし-やすもち)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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