畑野新村(読み)はたのしんむら

日本歴史地名大系 「畑野新村」の解説

畑野新村
はたのしんむら

[現在地名]砺波市畑野新・上中野かみなかの

中野新なかのしん村の南、庄川左岸にある。同川扇頂部の弁才天べんざいてん島の西、松川除まつがわいけ堤防周辺の村。明和九年(一七七二)弁才天前べんざいてんまえ入川後堤防番人として中野村から移り住んだ仁右衛門が、番のかたわら開き始めた所で、子の六次郎が文化八年(一八一一)に三五石の畑開きを願出たので初め六次郎ろくじろう開と称された(大正五年「中野村誌」)。文化八年の新開高一五石余、同一二年の新開高八九石余、天保七年(一八三六)の新開高一石に同九年の手上高検地出高を加え草高二一四石・免二ツ五歩で組高帳不入で村立てされた(文化五年―慶応四年「御領国中村名帳」加越能文庫)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 松川除 ぐち 先祖

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android