日本歴史地名大系 「中野村」の解説
中野村
なかのむら
最上氏改易後は山形藩領、寛文八年(一六六八)幕府領、天保一四年(一八四三)一部が山形藩領となり、弘化二年(一八四五)山形藩領は上野館林藩領となる。幕府領は米沢藩預地となるが、その後幕府直轄となり、嘉永元年(一八四八)には一部が天童藩領となる。寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録では高五千五五四石余。正保郷帳では田四千七一二石余・畑八四一石余・寺社領六三一石余。天保一三年の高は、幕府領
中野村
なかのむら
- 埼玉県:入間市
- 中野村
中野村
なかのむら
中野村
なかのむら
- 滋賀県:八日市市
- 中野村
天正一九年三月の蒲生郡中野村検地帳写(中野共有文書、以下とくに断らない限り同文書)によればすべて畑方で反別四〇町八反余。耕地のうち上畠一八町五反余・中畠一四町三反余・下畑五町二反余・下々畠一町三反余、都合高は三〇三石余と記されるが、分米高の合計は三一二石余、田品別集計高は三一〇石余となっている。
中野村
なかのむら
信濃川右岸の沖積地、
慶長三年(一五九八)頃の新発田御領内高付帳(新発田市史資料)に五六〇石七斗九升とある。同一〇年の給知方村々高目録(同資料)では毛付三七二石一斗余・荒六七二石二斗余。同一五年頃の給知方ほど役帳(同資料)では、三六軒に六石五升の炉役が課されている。同年に成立した沢海藩領になったと伝えられるが、疑問である。寛永一三年(一六三六)の御知行所草高之御帳(新発田市立図書館蔵)に新発田藩分家切梅家知行分として村名がみえ、一千二五石二斗余。同家領は元禄八年(一六九五)幕府領となる。寛文七年(一六六七)の検地帳(岩本家文書)の表紙に「中野組之内東村田方御検地帳」とみえ、延宝八年(一六八〇)の年貢皆済目録(同文書)にも「中野村東組」とあり、切梅家領時代すでに三村に分れていたと考えられる。
中野村
なかのむら
元和五年(一六一九)安芸国知行帳の村高一千六六六石余。「国郡志下調書出帳」によると、寛永一五年(一六三八)の地詰の結果と思われる本斗が一千七一〇石余で、正徳三年(一七一三)六石余(約九反)の新開が地詰された。元文三年(一七三八)以来の流永荒六町余(六八石余)を引いた残りの毛付一五六町余のうち田が一一〇町余を占めた。
中野村
なかのむら
慶長一九年(一六一四)の東金御成街道覚帳に村名がみえ、高一千石、一四町の道普請を負担。元和―寛永期(一六一五―四四)には旗本杉浦領になったと考えられ、延宝二年(一六七四)の検地では田五一町余・畑二七町五反余・屋敷一町九反余、山三五万五千余坪のうち百姓山二二万九千坪(鈴木家文書)。
中野村
なかのむら
- 東京都:中野区
- 中野村
現中野区の中央部に位置する。中世の中野郷の遺称地。東側を神田上水が流れ、対岸は豊島郡
中野村
なかのむら
- 長崎県:平戸市
- 中野村
平戸村の南西にあり、南の
中野村
なかのむら
中野村
なかのむら
中野村
なかのむら
- 東京都:八王子市
- 中野村
中野村
なかのむら
中野村
なかのむら
- 長野県:中野市
- 中野村
東は
慶長七年(一六〇二)川中島四郡検地打立之帳に村高四六七石九斗五合とみえ、松平忠輝の改易後は幕府領となった。元和四年(一六一八)四月、松平清左衛門判物(白井文書)に、「信州中野村新田之儀、急度為切開可被申候、御年貢之処三年休、諸役等ハ七年可為捨免候」とあり、幕府代官松平清左衛門が白井市左・黒崎治部に命じて、中野村新田(
また同年同月、越後の村上周防守義明が所領没収となり、家臣河野権兵衛氏勝は徳川秀忠に召されて御家人に列し、川中島のうち、中野・
中野村
なかのむら
- 福島県:相馬市
- 中野村
北を
中野村
なかのむら
- 京都市:右京区
- 中野村
東を
古代は
中野村
なかのむら
中野村
なかのむら
- 鳥取県:境港市
- 中野村
正保国絵図には中野村とみえ、拝領高は一八三石余。慶安二年(一六四九)の高一九九石余・物成七一石余、ほかに犬米九升余・塩運上米四石・浦役銀六二匁を納めた(「土免状」村田家文書)。
中野村
なかのむら
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中野村
なかのむら
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なかのむら
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なかのむら
- 福井県:大野市
- 中野村
慶長三年(一五九八)七月一五日の越前国大野郡内中野村御検地帳の写(松田家文書)によると、上田二七町九反余・中田二二町六反余・川向
中野村
なかのむら
近世初期は幕府直轄領、寛文四年(一六六四)久世(のち下総関宿藩)領、貞享元年(一六八四)以降幕府直轄領。
中野村
なかのむら
- 岩手県:水沢市
- 中野村
中野村
なかのむら
中野村
なかのむら
- 愛知県:稲沢市
- 中野村
南は
弘安五年(一二八二)
中野村
なかのむら
中野村
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- 長崎県:長崎市
- 中野村
平野村の北に位置し、
中野村
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- 大阪府:四條畷市
- 中野村
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中野村
なかのむら
- 岐阜県:恵那市
- 中野村
東と南に平地が続き、東は
中野村
なかのむら
- 富山県:砺波市
- 中野村
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中野村
なかのむら
住吉郡に属し、
中野村
なかのむら
中野村
なかのむら
- 広島県:尾道市
- 中野村
元和五年(一六一九)の備後国知行帳では村高三七七・二九八石。広島藩蔵入地。「芸藩通志」に畝数四四町一反余で高四七〇・六七一石、戸数九九・人口五〇三、牛六七・馬一〇とあり、御建山に
中野村
なかのむら
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なかのむら
中野村
なかのむら
- 山口県:徳山市
- 中野村
慶長六年(一六〇一)頃と思われる林勘兵衛家文書(「閥閲録」所収)に「都濃郡之内河曲村四拾八石、中野村にて弐石四合」とある。
慶長一五年の検地帳では河上村に合石され、河上村・中野として総石高五三八石余を記す。寛永三年(一六二六)の熊野帳では河上村の枝村中野単独で蔵入高三七一石四斗二升七合となっている。
「地下上申」では再び中野河上村として上申され、その総石高一千三七八石余、家数一五六、人口四四六とある。
中野村
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なかのむら
中野村
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- 兵庫県:加西市
- 中野村
中野村
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中野村
なかのむら
函館平野西端の
中野村
なかのむら
- 埼玉県:新座市
- 中野村
中野村
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- 埼玉県:幸手市
- 中野村
中野村
なかのむら
- 愛媛県:西条市
- 中野村
東北流してきた
「続日本紀」をはじめとする六国史に記された
中野村
なかのむら
- 大阪府:八尾市
- 中野村
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なかのむら
中野村
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中野村
なかのむら
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なかのむら
中野村
なかのむら
「常陸国風土記」の久慈郡の項に「郡より南、近く小さき丘あり。
中野村
なかのむら
- 京都府:宮津市
- 中野村
宮津湾の内海
中野を含む付近一帯は
単に
中野村
なかのむら
上田市塩田地区の中央部平坦地にある村。東は
初見は、諏訪上社の御頭役請執帳の元亀二年(一五七一)七月の条に「二八日 弐之御手幣
その後真田氏の時代の慶長一三年(一六〇八)の上田藩の貫高帳(大井英夫氏蔵)では「百三貫三百弐拾文 中の」とある。
中野村
なかのむら
中野村
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東は種山手永
中野村
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- 千葉県:四街道市
- 中野村
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中野村
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- 埼玉県:大宮市
- 中野村
中野村
なかのむら
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なかのむら
- 東京都:八王子市
- 中野村
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なかのむら
中野村
なかのむら
正保郷帳によれば田方三六四石余・畠方三五石余。正保二年(一六四五)から享保六年(一七二一)まで松岡藩領となったが、それ以外は福井藩領。当村は
中野村
なかのむら
中野村
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- 埼玉県:春日部市
- 中野村
中野村
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中野村
なかのむら
- 兵庫県:相生市
- 中野村
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なかのむら
中野村
なかのむら
- 神奈川県:海老名市
- 中野村
相模川の左岸に位置し、北は
元禄一〇年(一六九七)まで幕府直轄領と青山(のち佐久藩)・久世(のち下総関宿藩)領が入れ替るが、以後旗本本間・同天野に分給されて二給、三給となる。幕府直轄領は享保一三年(一七二八)下野烏山藩領となる。
中野村
なかのむら
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- 大分県:杵築市
- 中野村
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- 青森県:弘前市
- 中野村
北は
正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の
中野村
なかのむら
- 鳥取県:倉吉市
- 中野村
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- 静岡県:磐田市
- 中野村
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西・北・東を
中野村
なかのむら
松山平野の南東平坦部に位置する農村。東は
中野村
なかのむら
- 静岡県:浜北市
- 中野村
中野村
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- 埼玉県:鴻巣市
- 中野村
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- 富山県:小矢部市
- 中野村
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なかのむら
- 新潟県:糸魚川市
- 中野村
中野村
なかのむら
村の後方の山上に三層からなる中野城跡があり、小倉備前守の居城跡と伝える。小倉備前守については「上山寺記」に「丹後国竹野郡中野城主小倉備前守繁弘公為祈願寺故、従小倉氏寺領百二十石給る」とみえ、また
中野村
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なかのむら
- 愛知県:尾西市
- 中野村
木曾川沿岸の村。天正一四年(一五八六)の洪水によって村の中を木曾川が貫流したため、対岸の美濃側の中野村を
中野村
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- 千葉県:東金市
- 中野村
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中野村
なかのむら
- 大分県:竹田市
- 中野村
中野村
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なかのむら
中野村
なかのむら
- 京都府:亀岡市
- 中野村
中野村
なかのむら
- 島根県:出雲市
- 中野村
斐伊川左岸の平坦地にあり、南は
中野村
なかのむら
中野村
なかのむら
- 秋田県:鹿角市
- 中野村
南西に流れる
中野村
なかのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報