死者の霊が一定の期間を経て清められ,やがて崇拝・祭祀の対象とされるようになったもの。心理的にいえば死者の霊は生者に危害を加える恐怖の源泉であるが,しかしこの死霊は供養と祭祀によって浄化されて先祖(または祖先)となり,生者や家や共同体を守る親愛の対象となる。また,かつてH.スペンサーが説いたように進化論的な立場からすれば,先祖にたいする崇拝はカミ(神)にたいする崇拝の一歩手前の段階を示し,先祖の観念をもたない未開宗教よりは一歩進んだ段階をあらわすものといえる。つまり先祖は死霊と神の中間段階をあらわしている。また祖先は家族や部族や国家の祖先という多様な観念も含んでいるが,日本においてみられるように祖先にたいする崇拝の基盤には,家族や同族および家の一体化と永続性を願う心性が横たわっている。
先祖という観念は一般には農耕社会の成立とも深くかかわるとされているが,とりわけ日本のように長いあいだ稲作農業を生活の基調にしてきた文化圏では,家と稲作の永続を願う気持から先祖(霊)と稲霊の永続を願う観念を発達させた。そしてその問題を体系的に論じたのが柳田国男であった。彼によれば,死者の霊は家の裏山や村の境界をなす山にのぼって鎮まるが,やがて供養と浄化の一定期間(四十九日,百箇日)を経て祖霊(先祖)となり,カミの地位へと上昇するのだという。その場合,個々の祖霊はそれぞれの個性を捨てて大きな集合体としての霊体に統合されるが,しかしそのうち特定の先祖の霊がカミへの過程を経て氏神の地位につくと考えた。この氏神は村を守護する産土神(うぶすながみ)の性格をもつにいたったが,これにたいして個々の先祖は,同時に農神や稲霊の姿をとって農作業の節目ごとに家々を訪れるものと考えられた。すなわち正月に訪れるとされた歳徳神(としとくじん)や年神(としがみ),正月さまや田の神などがそれである。このうち田の神は田植の季節の春には山から里や田に下り,稲の収穫後の冬になると山に入って山の神となるという。こうして柳田の考えによると,生者の世界と死者の世界は先祖(霊)を媒介にして循環していることになり,それによって家と稲作の永続および共同体の繁栄が期待されたのである。
ついで重要なのは,上にのべた先祖の観念にたいして外来宗教としての仏教がどのような態度を示したかということである。仏教の教理にはもともと先祖崇拝は含まれていなかったが,仏教の伝来直後の飛鳥時代からすでに父母七世の供養という先祖祭の形式が採用された。それは中世から近世へと受けつがれ,各種の盆行事とならんで〈先祖之霊〉または御精霊様をまつる慣習がひろく定着していった。したがって日本における仏教教団の経済的発展も,民間信仰としての先祖崇拝を包摂する寺檀制度と墓制度をつくりあげることによってはじめて可能となったのである。また日本の祖先崇拝はとくに近世以降になって儒教の孝=倫理によって理念的な方向づけをうけ,さらに明治の国家神道の成立とともに政治的な意味づけを加えられたが,その影響はともに表面的なものにとどまった。いずれにしても日本のような近代国家において,先祖にたいする独特の崇拝感情をこれほど持続的に温存させてきたのはまれであり,この問題は日本文化の根底をさぐるうえできわめて重要である。
→祖先崇拝
執筆者:山折 哲雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
字通「先」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…祖先崇拝は,ある集団の生きている成員の生活に,死亡したかつての成員が影響を与えている,または与えることができるという信仰に基づく宗教体系である。一般に〈崇拝〉行為を行う現成員と,これを受ける死亡した成員は,実際または擬制的に〈子孫〉と〈先祖〉の関係にたつ。祖先崇拝においては,現成員である〈子孫〉は,自分たちとその集団の存在を〈先祖〉に負うものと考える。…
※「先祖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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