… このころから,漢水方面から漢人が四川盆地に入り,人口も増加した。漢代には益州が置かれ,巴,蜀,犍為(けんい),広漢などの各郡が設けられた。ただ,漢の勢力が及んだのは現四川省では四川盆地および南西部までで,西部高原の雅礱江や大渡河,金沙江の上流部は西羌(せいきよう),白狼夷(はくろうい)の地であった。…
…元来はいわゆる西南夷系統に属する異民族の住地であったが,その中で巴と蜀はさらに民族・文化系統を異にした。秦がこの地を領有し,漢の武帝が巴・蜀と漢中および南中(雲南省)を含めて益州としてより,一地域として扱われるようになった。 巴には巴郡南郡蛮,板楯蛮等と同系統のものが住んでいたのであろう。…
※「益州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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